S.M.L.の音楽科教育(T)

実技教育研究指導センター 音楽科教育分野 教授 鈴木 寛 1995年3月 
実技教育研究 第9号より


INDEX


1、戦前の音楽科教育

 我が国に音楽科教育が導入されたのは、「学制」発布(明治5年、1872)に遡る。この学制では、下等小学校に「唱歌」を、下等中学校に「奏楽」を位置付けたが、「当分コレヲ欠ク」として実際には実施されなかった。東京女子師範学校では明治10年から唱歌教育を「雅楽」という形で開始しているものの、子ども達のための教材も模索も微々たるものであった。文部省は当時米人スコットを招き教員養成にあたらせると共に、更に翌明治6年には同じく米人ミュレーをも招聘した。このように発足当時の日本の音楽科教育はアメリカを範としていたことが判る。明治8年、政府の任を受けてボストンに留学した伊沢修二は「師範学科取調員」としてメーソンのもとで勉強し、目賀田種太郎らと日本の音楽科教育の体系を模索していった。唱歌教育を主軸とするメーソンの考え方や実践を基盤にした「音楽取調掛(後に音楽取調所と改称、1886、2)」を設立したのがやっと明治12年のことであった。このような舶来の音楽に対して洋学者の神田孝平が既に明治7年に「国楽」の振興を提案していたが、「家元制」の発達した当時の状況ではとても学校教育として音楽科教育を国楽で行うようなコンセンサスを得ることは不可能であった。
 結局、伊沢は恩師メーソンを音楽取調掛に明治13年に招聘し、小学唱歌の編纂を開始したのであった。メーソンの考え方はペスタロッチ主義思考による今で言う「オーラルメソード」つまり楽譜に依存しない口伝えの方法であった。歴史上極めて残念なのは、このメーソンがわずか3年で解雇されてしまったことである。メーソン無き後は日本の音楽科教育の理念が単なる「練習のための練習」と言う方向をたどったのは、音楽が実技的実践を必要としているからとは言え大変残念なことである。
 「学制」は結局明治12年には廃止され、替わって「教育令」が公布された。社会の近代化に伴いほぼ明治20年頃までには全国津々浦々で「唱歌」は実施されるようになった。
 「大日本帝国憲法」が明治22年に、続いて「教育ニ関スル勅語」が23年に発布されるとともに「小学校祝日大祭日儀式規定」も定められ、祝祭日には全ての小学校で歌うべき唱歌8曲が制定された。「君が代」を始めとするこれらの曲は音楽科教育と言うよりむしろ富国強兵策による国民意識高揚のために終戦まで唱歌の必修曲として位置づけられてきた。
 明治40年になってやっと「小学校令」が改正され、尋常小学校6年間に「唱歌科」が必修教科として組み込まれることになったが、依然として「当分ノ内之ヲ闕クヲ得」の扱いであった。「尋常小学唱歌」は明治40年に改編されて以来昭和7年まで改正や変更を加えることなく使用されてゆくのである。
 大正から昭和にかけては、中学校以上の教育が考えられるようになったが、小学校における「尋常小学唱歌」のようなものも無く、軍国主義に傾倒して行く中で音楽は軟弱なものとして軍歌にその席を譲ることになっていった。一方、こども達はラジオの普及に伴い「童謡」を歌い始めるようになっていた。
 「尋常小学唱歌」は文部省により昭和7年にやっと改定増補されるが、国家主義的な色彩は益々濃くなっていった。1年から6年まで162曲ある中で古いものは105曲で、新たに57曲が追加された。この新しい曲は「新教育思想」を反映しており、愛国心を養うために「わらべ唄」や「民謡」も取り上げられるようになった。戦時体制に入るとドイツにならい「音楽週間」も取り入れられ、音楽科教育を国民精神高揚のために用いるようにもなった。それまでの「ドレミ唱法」をやめ固定ドやハニホヘトを用いるようにもなった。  国民学校が発足してからは、軍事色の濃い集団訓練の中に音楽科教育が組み込まれてしまったのである。
 このように、明治から昭和10年代にかけての音楽科教育は欧米諸外国に追いつけ、追い越せとばかりに「文明開化」の名のもとに、近代化のための教育が行われた時代であった。
 国威高揚のための西欧化教育は集団のための「唱歌教育」と、エリート養成のための「留学教育」に2分され、中でも指導者養成のためのシステムは師範学校を中心として急速に発展をとげた。東京音楽学校(現東京芸術大学)はコンセルバトワールとして多くの演奏者や教育者を育ててきた。大正から昭和初期にかけての雰囲気はいわゆるアカデミズムの蔓延であった。音楽は高度な専門性を有するインテリの世界であると同時に、一般大衆にとっては背伸びを要する教養でもあったのである。鑑賞教育の重要性を最初に唱えたのも昭和に入ってからのことである。器楽はピアノやヴァイオリンのような演奏家用の楽器を対象としており、「教育用楽器」の概念は殆どなかった。

2、戦後の音楽科教育

 歴史上初めての敗戦を経験した日本人は「大日本帝国憲法」をより処としたあらゆるライフスタイルを変えざるを得ない状況に追いやられた。新「日本国憲法」は主権在民の民主主義思想で貫かれ、義務教育を含む学校教育のシステムも大幅にアメリカをお手本とした制度に改められた。音楽科教育も一部の専門家の卵のみに成果を期待したものから、全ての児童の音楽的成長を狙ったものへと変っていった。
 戦後の教育は民主主義を基調としていたので、どんな教科もまんべんなく全ての児童生徒の教育の機会均等という精神で貫かれている。又、及川平治らの実践のような「分団学習」やグループ学習等も重視されるようになった。典型的なものとして「バズ」学習のようなものもあった。「這い回る経験主義」などと酷評されながらもデューイらの教育思想を受け継いだ「プラグマティズム」による1930年代以降の経験主義がアメリカから輸入されてきた。音楽科教育における経験主義はJ.L.マーセルによって音楽科教育の哲学として浸透し始めた。
 戦後の音楽科教育の改革は次の5点から始められた。
1、階名唱法に戻す。
 これは音感教育に名を借りた行き過ぎた「音名唱法」に対する反省から行われた。
2、教材の自由化。
 文部省唱歌一辺倒だったものから、文部省の検定や知事の認可を必要としない学校長の責任だけで自由に教材が選べるようになった。(但し若干の制限はあった。)
3、文部省著作の教科書の廃止。
 国定教科書から検定教科書への移行。
4、学習指導要領の公表
 戦前の「唱歌」以外に「器楽」「鑑賞」「創作」「理論」等の領域も含めた学習展開の指針として。
5、教育用音楽用語の統一
 教科書が検定制となるとともに用語の統一がはかられた。
 そして最初の学習指導要領が昭和22年に発表された訳である。その目標の項目は次の通りであった。
@音楽美の理解・感得を行い、これによって高い美的情操と豊かな人間性とを養う。
A音楽に関する知識及び技術を習得させる。
B音楽における創造力を養う(旋律や曲を作ること)。
C音楽における表現力を養う(歌うことと楽器を弾くこと)。
D楽譜を読む力及び書く力を養う。
E音楽における鑑賞力を養う。
 これが4年後の昭和26年の指導要領では、次の7つとなった。
@いろいろな音楽経験を積むことによって、いっそう音楽を愛好するように育てる。
Aよい音楽を鑑賞し、音楽の鑑賞力を高める。
B音楽の表現技能を養い、音楽経験を通しての創造的な自己表現を奨励する。
C音楽経験を豊かにするために必要な、音楽に関する知識を得させる。
D音楽を理解したり感じとる力を、各個人の能力に応じて高める。
E音楽経験の喜びや楽しさを、家庭や地域社会の生活にまで広げる。
F音楽という世界共通語を通して、他の国々に対するいっそうよい理解を深める。
 それが昭和33年の改訂ではまた次の5つとなった。
@音楽経験を豊かにし、音楽的感覚の発達を図るとともに、美的情操を養う。
Aすぐれた音楽に数多く親しませ、よい音楽の美しさを味わって聞く態度や能力を養う。
B歌を歌うこと、楽器を演奏すること、簡単な旋律を作ることなどの音楽表現に必要な技能の習熟を図り、音楽による創造的表現の能力を伸ばす。
C音楽経験を豊かにするために必要な音楽に関する知識を、鑑賞や表現の音楽活動を通して理解させる。
D音楽経験を通して、日常生活にうるおいや豊かさをもたらす態度や習慣を養う。

 そして昭和43年の改訂では「表現」「鑑賞」の2領域から「基礎」「鑑賞」「歌唱」「器楽」「創作」の5領域に細分化され、次のような4目標が設定された。
@すぐれた音楽に数多く親しませ、よい音楽を愛好する心情を育て、音楽の美しさを味わって聞く能力や態度を育てる。
A音楽的感覚の発達を図るとともに、聴取、読譜、記譜の能力を育て、楽譜についての理解を深める。
B歌唱、器楽、創作などの音楽表現に必要な技能の習熟を図り、音楽による創造的表現の能力を育てる。
C音楽経験を通して、生活を明るくうるおいのあるものにする態度や習慣を育てる。
 過去のものに比べて、能力的目標が明確に打ち出されているのが特徴ですが、このころからコンクール熱が高まったのと無関係ではなさそうである。
 第5次学習指導要領は昭和52年7月に公示され、音楽の授業時間の削減が「ゆとり」の名のもとに実施された。領域は再び「鑑賞」「表現」の2領域となった。
 それまで箇条書きであった目標は一文になり、次のようになった。
「表現及び鑑賞の活動を通して、音楽性を培うとともに、音楽を愛好する心情を育て、豊かな情操を養う。」(小学校)
「表現及び鑑賞の能力を伸ばし、音楽性を高めるとともに、音楽を愛好する心情を育て、豊かな情操を養う。」(中学校)
 これはさらに平成元年三月の現行の指導要領では次のように書き改められた。
「表現及び鑑賞の活動を通して、音楽性の基礎を培うとともに、音楽を愛好する心情と音楽に対する感性を育て、豊かな情操を養う。」(小学校現行)
「表現及び鑑賞の活動を通して、音楽性を伸ばすとともに、音楽を愛好する心情と音楽に対する感性を育て、豊かな情操を養う。」(中学校現行)
 「高める」「伸ばす」「培う」「養う」「育てる」「深める」などの文学的解釈を必要とする変更が目立つ。どうやら「高める」「伸ばす」は『能力』で「培う」「養う」「育てる」「深める」などは『態度』や『心情』に関する目標語のようでもあるが、必ずしも統一されていない。
 しかし、こうして順番に並べてみてわかることは昭和43年の改訂を最も右端とすれば現行のものは最も左端にあるようで、昭和26年の指導要領の一部分ともよく似ている。特に昭和26年の『D音楽を理解したり感じとる力を、各個人の能力に応じて高める。』などは個別化、個性化をにらんだ現行のものと非常に良く似たコンセプトのようである。また『F音楽という世界共通語を通して、他の国々に対するいっそうよい理解を深める。』も国際化のテーマを掲げる現行のものとよく似ている。しかし、これらの目標の背景となっているもののひとつにISME(国際音楽科教育協会)の動向がある。第5回(1963)は東京を会場に行われ、日本の音楽科教育が国際的舞台に展開しはじめた訳であるが、翌年のコダーイを会長とするハンガリーの大会以降この会は隔年に定期的に行われるようになり現在にいたっている。1963年といえば昭和38年に当たる。つまり43年の改訂に向けて準備が始まっていた頃である。この東京大会までのISMEのスローガンは『読譜や記譜を通して音楽的能力を高める』ことであった。ところが翌年の1964年ハンガリー大会においてそんなものにこだわらない『コダーイ』のシステムが紹介されて一種のカルチュアショックがはじまったのである。このショックは43年の改訂には反映されず、結局53年に持ち越されたわけであるが、その方向は確実にISMEの影響を受けている。
 ところで現在国連加盟国は184ヶ国(1994年12月現在)あるが、その中で音楽を義務教育の『必修正課』に位置づけている国は幾つあるだろうか? 正確には把握されていないが恐らく10数カ国であると言われている。勿論アメリカやフランスも正課ではないし、ヨーロッパではドイツやイギリス、スペインなどほんの数カ国しか正課の音楽科教育は実施して居ない。その意味で日本の音楽科教育は歴史的にみても内容を見ても世界の最先端であることを自負できる。しかし、現実に日本の子どもは『音楽好き』であろうか、『生活』に密着した音楽文化を持っているのだろうか?
 そんな疑問を出発点に本論では『SMLの音楽科教育』を提案してみたいと思う。

3、S・M・Lの音楽科教育

SMLとは
 洋服のサイズがSMLのスリーサイズで表現されていることは周知の通りである。もちろんSは< Small > 、Mは< Middle >、Lは< Large > の略である。しかし、本論ではそのような意味でこのラベルを捉えていない。よく音楽科教育の目標について述べる時、歌唱力をつけるとか、視唱力をつけるとか言うように具体的な音楽的能力について語られることが多いのであるが、筆者もかつてそのような方法で指導案を書いてきた。
 しかし、『木を見て森を見ず』の譬えのように音楽科教育の目標全体の像が分かっておれば別であるがそうでない場合、音楽科教育の一部分だけを近視眼的に見ているのではないかと言う疑問が常に付いて回ったものであった。
 オランダの音楽科教育学者レベスは音楽科教育の内容を2つに分けて考えた。それぞれが4つの要素からなる分類は次の通りである。
(1)音響=音楽的能力
 (a) リズム感覚
 (b) 絶対音高感覚
 (c) 協和音程の分析
 (d) メロディーの把握と歌唱力
(2)音楽性(Musicality)
 (a) 相対的音高感覚
 (b) 和声に対する認識と反応
 (c) 暗譜、無伴奏譜によるピアノ演奏
 (d) 創造的想像力
 ここでレベスの言う『音楽性』は次のように定義されている。
“音楽性とは音楽の本質的意味を理解、経験し、その美的内容を楽譜の上で評価して、それを音楽的に発音しようとする要求とその能力である。”
−佐瀬 仁著「音楽心理学」音楽之友社より−

 点滅部分に注目して欲しい。彼レベスは言語における文字と同じように音楽における楽譜を位置づけていることがわかる。しかし、音楽の歴史において「楽譜」の誕生は極めて最近の出来事であることを考える時、音楽=楽譜の等式は中世以前には成立しないことが分かるし、(2)の(b))の和声と言う概念についても日本音楽などでは成立しないことがわかる。要するに彼は西洋のクラシック音楽に関する能力(音大の入試の課題)と同じ能力を音楽科教育に求めているのである。
 ただ、この定義や分類の背景には日本や西ドイツのように音楽科教育を義務教育の中に位置づけていないヨーロッパの一般的な音楽科教育環境について述べているのであって、日本の学校教育における音楽科教育について考慮しているのではないことを知る必要がある。従って、どちらかと言えばプロの音楽家を目指す人に必要な音楽的能力について述べていると考えた方が良いように思う。レベスがこれを発表した経緯には当時盛んに論争された音楽的能力についての色々な人の意見に対する反論ということもあったのである。
 シーショア(Carl Emil Seashore U.S.A.)と言う有名な学者がシーショア・テスト(1919)と言う音楽性のテストで評価しようとした項目が「音楽に対する適応力の徴候を測定している過ぎない」と批判した時のことなのである。その項目と言うのは次の6つである。
  1.  音高識別力(Pitch)
  2.  音量識別力 (Loudness)
  3.  リズム識別力 (Rhythm)
  4.  音長識別力 (Time/Dulation)
  5.  音色識別力 (Timble)
  6.  音記憶力 (Tonal memory)
 これらの能力は所謂「実音テスト」と呼ばれるテストでよく出題される問題の内容とよく似ている。確かにレベスの分類はそれらの単なる「識別力」では説明できないものが沢山含まれている。従ってシーショア・テストの場合は、むしろ「感覚的資質」の測定には有効であることが分かるが、それで音楽的能力のすべてを評価し得るものではないのも事実である。
このような Musical Aptitude Test と呼ばれる音楽的能力測定のテストがいくつかあるわけであるが、有名なものとして、ゴードン (Gordon,Edwin) のものがある。
 1965年に発表されたGordon Musical Aptitude Profile と呼ばれるテストは現在入手できる最良のテストとして有名である。TEST(T),TEST(R),TEST(S) の三つから成り、それぞれ(T) は音のイメージ (メロディとハーモニー) 、(R) はリズムのイメージ (テンポと拍子) 、 (S)は音楽的感受性 (フレージングとバランスと様式) の3つのカテゴリーについて小学校の4〜5年生を標準として検証された標準テストである。後述するが、このカテゴライズは筆者の考えているものと大変よく似ている。
 他にどんなテストがあるかをみると以下のようなもの有名である。 K-D テストはKwalwasser-Dykema Music Tests と呼ばれヤコブ・クワルワッサーとピーター・ダイケマが共同で1930年に開発した。このテストにはシーショア・テストと同じような、音の高さ、音の強さ、音の長さ、リズム、音色、音記憶の尺度の他に、音の運動、メロディの鑑識、音高イメージ、リズム・イメージの4つが追加されている。しかし、標準テストとしての信頼性は極めて低いので有名である。後に1953年、クワルワッサーは一人でKwalwasser Music Talent Testと称するわずか10分間のテストを発表するが、短かすぎるため信頼性がなく年長の子供にはやさし過ぎるという欠点がある。
 Drake Music Tests はRaleigh Drake によって1954年に完成され、以後30年以上にわたって使用されてきた実用的なテストであるが、それが最も効果を発揮するのは拍子やテンポを保持する能力の測定についてである。ひとつの例を挙げると、始めにトン・トン・トン・トンとあるテンポでメトロノームを鳴らし、そのあとしばらく音のしない空白があって再びトンと鳴るのは最初から数えて何拍目かを答えるような問題で、空白の間正確にテンポを保持する能力を要求される。この問題も高度になると空白の間に別のテンポのメトロノーム音が妨害音を発する等なかなか手のこんだこともやる。
Oregon Music Discrimination Tests はオレゴン音楽弁別テストとも呼ばれ、1930年から実施され1950年代にレコードが販売中止になるまでかなりの期間「鑑賞力」の測定に用いられた。このテストでは実際によく知られた作曲家の作品を使用し、原曲とそれを歪曲したものとを比較してどちらが好きかを答えると共に、その曲のどの要素が変奏されたかを判定するものであった。
 Wing Standardised Tests of Musical Intelligence はウィング音楽的知能標準化テストまたはウィング・テストと呼ばれ、1948年頃に完成した認知型テストと「すべての音楽家が芸術に関心があるという人すべてに見出したいと願うであろう基本的な素養」つまり鑑賞力を測定する目的で開発された。
後で述べるベントリーがこのテストを批判する目的で実験を実施し、1955年の論文の中で「指導のために個人個人の資質の非常に決定的な分析が望まれる場合には最も有効である」と述べているように、7つからなるこのテストの最初の3つを評価している。
 テスト1は和音分析、2と3は音高変化と記憶、4〜7はリズム、ハーモニー、ダイナミック、フレージングの鑑賞力である。特にフレージング・テストは問題作成者の主観や価値観がからむという問題があるが音楽的グループと非音楽的グループを弁別するのには大変有効である。これはゴードン・テストが同じ曲(ポリフォニー)を異なるフレージングでいくつか聞いた後で、どのフレージングが最も音楽的であるかを答えるのとは異なり、一対の単旋律のフレージングが同じか否かを答えるものである。
 1958年にはThayer Gaston がGaston Test of Musicality なるものを出版した。テストは40項目から成り、最初の18項目は音楽についての興味をアンケート方式で探ると言うのが他のテストと異なるところで興味深いものを感じるが、少しやさし過ぎるのと客観性の不足が欠点である。
  Whistler&Thorpe Musical Aptitude Testはピアノの生演奏で実施されるリズム、音高、メロディの能力を測定するもので10才から16才を対象に1950年に発表されたが、リズムのテストを除いて信頼性ではやや劣るようである。
1966年にArnord Bentleyが7ー8才の子供のために開発したBentley Measure of Musical Abilitiesは4つのテストからなり、 1、音高弁別テスト、 2、音記憶、 3、和音分析、 4、リズム記憶を測定する目的で14才位の子供にまで使えるものである。他のテストと同じで、一対のテキストがそれぞれ比較できることにより客観化している。信頼性は極めて高いものである。
 その他のテストとして、ランディン音楽能力テスト、サックリー・リズム適性テスト、フランクリンの調性感音楽才能テスト、ジョージ・カイムの美的判断力テスト、ファーナムの音楽記譜法テストなどがある。
 さて、いろいろなテストについて述べてきたが、「音楽的能力」とその分類を論ずるためには各種のテストが何を評価しようとしているのかを調べることが近道だと思ったからである。誰がどんな能力を大切と考えてテストを考案したかは実に様々である。あるテストでは「聴覚」にこだわっているし、またあるテストでは「感性」にこだわり、またあるものは「感受性」を重要視している。またマーセルやウィングはシーショアを批判的に見ているし、それぞれのテスト開発者が自分のテストの開発の前提として他のテストの長期にわたる検証を試みていることも面白いことである。
 このように色々なテストを見てみると、およそどのテストにも共通する次のような要素が見つかる。

           ┌@ 音高弁別または識別の能力。
           | (1) 単音の名前が言える。
           | (2) 単音の音高比較ができる。
           | (3) 音程の識別ができる。
           | (4) 和音の種類と違いが言える。
           |A 音量の弁別または識別の能力。
           | (1) 絶対音量が言える。
           | (2) 音量の比較ができる。
           | (3) 音量の変化が分かる。
 音響と聴覚のレベル ┤B 音色の弁別または識別の能力。
           | (1) 音色の特徴が言える。
           | (2) 音色の比較ができる。
           | (3) 音色の変化が分かる。
           |C 音長の弁別または識別の能力。
           | (1) 絶対音長の弁別。
           | (2) 音長の比較ができる。
           |D 音の記憶能力。
           | (1) 単音の記憶と再生。
           | (2) 音程の記憶と再生。
           └ (3) 和音の記憶と再生。

           ┌@ テンポと拍子の弁別または識別、再生能力。
           | (1) 絶対速度がわかる。
           | (2) テンポの比較ができる。
           | (3) 強拍部とそうでない拍が識別できる。
           | (4) 何拍子であるかが分かる。
           |A リズムの弁別と識別、再生能力。
           | (1) 拍とその分割が統合できる。
           | (2) アクセントとリズムの関係がわかる。
           | (3) テンポとリズムの関係が把握できる。
           |B 主音と音階(調)の弁別または識別能力。
           | (1) 長調と短調の識別ができる。
           | (2) 主音とそうでない音の区別ができる。
           | (3) 音階の構成音がわかる。
           | (4) 転調を指摘し、その内容が分かる。
           |C ハーモニーの弁別および応用力。
           | (1) 機能和声的にI、IV、V等の和音が弁別できる。
           | (2) 和声の違いを指摘できる。
           | (3) メロディに相応しい和声がわかる。
           | (4) ハーモニーを記憶、再生できる。
           |D メロディの弁別および再生能力。
           | (1) メロディとそうでない音の弁別ができる。
           | (2) 変奏されたメロディと原曲の同一性が指摘できる。
   音楽性のレベル ┤ (3) メロディの比較ができる。
           | (4) ポリフォニックな動きを聞き分けることができる。
           | (5) メロディを記憶、再生することができる。
           |E フレージングの弁別および価値判断力。
           | (1) リズム・フレーズの認識。
           | (2) 和声フレーズの弁別。
           | (3) メロディの美的フレージングの意識。
           |F バランスの弁別および判断力。
           | (1) 各音要素のバランスの違いがわかる。
           | (2) 美的なバランスの意識。
           |G 様式・形式の弁別力。
           | (1) 様式や形式が弁別できる。
           | (2) 様式や形式の比較ができる。
           |H 編曲・作曲・指揮の能力。
           | (1) 編曲の基本的な知識・技術がある。
           | (2) 作曲の基本的な知識・技術がある。
           | (3) スコァ・リーディングの力がある。
           | (4) アンサンブルの指揮ができる。
           | (5) 作品、演奏などの比較ができる。
           |I 技術的能力。
           | (1) 記譜・読譜の技術。
           | (2) 移調・変奏の技術。
           | (3) 即興的演奏能力。
           └ (4) 総合的演奏評価力。

           ┌@ 価値判断に関する能力。
           | (1) 美的価値判断の能力。
           | (2) 演奏表現に関する価値判断力。
           | (3) 演奏解釈に対する価値判断力。
           | (4) 作品に対する価値判断力。
           | (5) 人物に対する価値判断力。
           | (6) 時代・地域に対する価値判断力。
           |A 態度的能力。
           | (1) 好き嫌いに関する態度。
           | (2) マナー・モラル。
           | (3) 自発的態度。
   人間性のレベル ┤ (4) 謙虚に受け入れる態度。
           | (5) 自己との照合(自己発見)。
           | (6) 自己実現(自己表現)。
           | (7) 社会性・環境との調和。
           | (8) 音楽的意識の有無。
           | (9) 独創性・オリジナリティ。
           | (10) 積極性・バイタリティ。
           | (11) 計画性。
           | (12) 最適性。
           | (13) 柔軟性・フレキシビリティ。
           | (14) 即興性。
           └ (15) 統合性・再構築能力。

 どのテストにもこれら全てが含まれているのではなく、いわば靴下に譬えるならどのテストにも「穴」が開いている。つまり、不得意とする分野や見落としている部分があるというわけである。しかし、もしそんな「穴あきの靴下」でも何枚か重ねて履けば穴が塞がってしまうように、これらのテストをいくつか組み合わせれば完全なものになるに違いないと思われる。
 というわけで、このような分類を試みてみたわけである。まだ、これでも完全ではないであろうが、少なくとも音楽科教育の内容を大きく3つに分けて、音響と聴覚のレベル・音楽性のレベル・人間性のレベルに分けることには大きな意味がある。
 この、<音響と聴覚のレベル>をoundの頭文字
Sをとってそのラベルとする。<音楽性のレベル>はusicalityの頭文字で、<人間性のレベル>は生き甲斐とか生活との関係でifeの頭文字で表現することにした。
 従って、S・M・Lと言うのはサイズのことではなく音楽科教育のレベルのことなのである。しかし、偶然ではあるが、このレベルの大きさは次の図のようにサイズ別になる。

(図1)

何故SML?

 S.M.Lの言葉の意味は御理解いただけたと思う。「べん図」は本来その円なり楕円なりの大きさに意味は無いことは御存知の通りであるが、「関係」を集合の概念で把握するには大変便利な表現方法である。  現実の小学校や中学校の音楽の授業では、その授業がどの部分に係わっているのかが不明瞭になり勝ちである。指導案(教育案)と呼ばれる授業プランには〔主題〕又は〔題材〕或いは〔単元〕と呼ばれる表題があり、主題構成や題材構成のタイプによってその書き方は違うが、例えば『三拍子による伴奏型の勉強』とか『しろくまのじぇんか』等の表現がその授業の目標を示している。
 さらに指導のめあてとして、その授業の目標とする〔到達目標〕または〔行動目標〕等が記述され、その指導のための時間計画や教材の分析が行われる。そして、一時間毎の指導過程を細かく記述する。
 しかし、現実的には表題の目標や内容とはほど遠いものになっていたりすることが多いのも事実である。例えば、今は主流となりつつある〔主題構成〕のタイプの授業では『〜できるようになる』という目標で構成されるので、極端な場合『題材』の部分を空白にしておいて、学年、学期が変わる毎にそこに適当な題材を入れても良いようなものになってしまいがちである。又逆に〔題材構成〕の場合でも題材の部分を空白にしておいて何をそこに入れても同じということが起こる。 美術や体育にもよく似たことが起こるが、これは〔芸術〕や〔体育〕と言う教科の特殊性からくるものが大きいのである。

図2

 図 2は音楽や美術のような教科と数学(算数)やその他の知識・技能型授業の違いを図示したもので、目標が単一で無い〔オープエンド〕と呼ばれる教科と〔クローズエンド〕のリニァ(直線型)授業の違いを表している。
 オープンエンドの学習では、一人一人の児童生徒が異なる目標に向かって螺線状にグルグルと旋回しつつ上昇して行く様を表しているし、リニァ構造の教科では形成的評価を加えつつ一直線に目標に向かって進んで行くのが分かる。
 ブルームの言うところのマスタリー・ラーニング(完全習得学習)の考え方がリニァ構造であるが、どうも音楽と言う教科では笛の練習とか読譜の練習といった知識・技能の練習以外にはこの方式は使えない。音楽の授業は小学校の1年生の時点で既に個人の能力差は随分大きなものがあり、STEPそのものが、既に画一的な設定に馴染まないということもあり、又同時にSTEPの内容や構成も児童生徒のレベルに応じたものにしなければならない。
 音楽の教材は教科書に出ている曲そのものを中心にするが、その曲そのものが、色々な音楽的要素を持っているため、単一の目標のために利用することが困難なわけである。例えば、ある曲が〔三拍子〕と言う基本要素のために利用されたり、〔二部合唱〕の練習のために用いられたりすることがあるわけで、特にその曲が何年の何学期に相応しいという必然性に乏しいことは容易に理解できる。
 かつて、中学校の教材であった曲が小学校の音楽の教科書に登場しているケースも多々あるし、その逆もあるのはこうした理由からなのである。どんな曲にもそれが〔音楽〕である以上、総合された音楽として拍子や和声、リズムや形式の課題を含んでいるので、ただ何に焦点を当てるかが違うだけなのである。と言うことは、一曲ごとに何かの能力が着実に形成されて行くのではなく幾つかの曲を学習した後で、それらに共通する要素を統合して能力化して行くのである。
 そこで、それら共通するするものを〔S〕〔M〕〔L〕のレベルで構造化することにより合理的で、有効な音楽科教育ができるようになるのではないかというのが本論の主張である。
 しかし、本論のねらいとするところは単なる〔How to〕ではなく、寧ろその前の段階である〔何故〕即ち〔Why〕と言う事を学習者にも授業者にも考えさせることにある。
 児童生徒の立場に立って考える時、今自分が学習しようとしていることが、一体何の役に立つのかが分かっているかいないかでは随分学習の意味は変わってくる。つまり、自分の学習しようとしている事柄が、どこから来てどこへ行こうとしているのかを知っているのといないのでは大変な違いがあるということである。
 〔詰め込み〕や〔丸暗記〕による機械的学習は避けなければならないとマーセルが言っているように、仮にそれが機械的学習であるにせよ学習者がそれを学習する意味なり意義を知っていなければならないことは言うまでもない。有機的な構造こそが能力として定着するのである。
 機械には歯車やてこやベルトがあり、電子機器にはパーツや回路がある。それぞれある機能に必要なパーツであるが、それが威力を発揮するのは他のパーツと有機的に繋がっている時だけである。単にパーツを詰め込むだけでは何も機能しない。何故そこにそのパーツがあり、それがどんな機能を持つのかを学習者が知っていなければそのパーツは機能しないのである。
 〔S〕のパーツはSoundに関する機能を持っている。人声や楽器、音符などで表現したり伝達することのできるパーツである。しかし、あくまでも素材や材料、データ等としての機能しかなくて、音楽の素材として刺激の質を形成するに過ぎないのである。
従って音そのものであるからそれ自体では音楽とは成り得ない。このレベルで学習されるのは、@音の高さ、A音の強さ、B音色、C音の長さの4つであり、実音または音符で表現することが能力として要求される。そのためには、確かな〔聴覚〕と〔運動神経〕と〔記号把握〕の能力が必要である。聴音のテストで分かるのはこのレベルの能力であり、音楽の能力の一部でしかない。音楽と言うのはこれらのパーツが時間軸の上に連続的に並べられた時に意味を持ち始める。従って、このレベルの学習は〔感覚〕の学習に重点が置かれ、それを磨くように教師や児童生徒は努めなければならない。
 〔M〕はMusic又はMusicalityの略で、Sと言うパーツを時間軸の上に連続的に並べて音楽としての意味を持たせたもので、パーツを越えた、寧ろシステムとしての機能を持ったものである。システムには機能が有る。目的に応じてパーツを入れ換えることもできるし、不要なパーツを使わないこともできる。音階と言う調性機能を表現するには、ある順番に高さの異なる音を並べ、更にその中の特定の音には〔導音〕や〔主音〕の機能を持たせるための音程も約束として用いられる。学習者はMのレベルとしてその約束を学習するわけであるが、単なる約束として覚えるのではなく音楽として学習しなければならない。このレベルでは〔美しい〕とか〔好き〕とかの価値観を伴う判断は必要とせず、単純に〔こんなもの〕として受け止める学習が展開されなければならない。このレベルでの学習の代表的なものは、和声や旋律、リズム、形式等の基本的なパターンとそのバリエーションである。従って、このレベルの学習に必要なのは感覚ではなく〔感性〕と呼ばれる心理的な判断力である。感性は生まれつき備わっているのではなく、後天的に学習されるものであることが分かっている。その音の組み合わせがどんな心理と関係があるのかを学習することにより、一種の条件反射的な心理反応が形成されて行くのである。このMの学習に必要なことは、児童生徒が経験しようとしている音楽的現象を巧みに意味付けてやることと、その曲や類似の曲で繰り返し学習させて定着させることである。この時指導者のコメントに偏りがあると、その偏った感性が学習され、定着することも知られている。
 このレベルの学習の時に価値観(特に指導者の主観による)に触れ過ぎると場合によってはアレルギーや拒否反応を子供たちに起こさせることもあるし、自分で価値判断のできない子供にしてしまう恐れもあり、注意が必要である。彼らはこのレベルの学習で、美的表現の手段として、調和やバランス、変化と統一をルールとして学習できれば充分なのである。
 〔L〕LifeまたはLife−longの略であるが、このレベルではパーツでもなければシステムでもない目的や結果のフィールドであり、音楽の母体でもあるし、「表現」「鑑賞」の2領域の出発点であると共に帰着点でもある。つまり、S→M→Lという向きに情報が伝達されることを鑑賞と呼び、S←M←Lという向きに情報が伝達されるのが表現なのである。
 この〔L〕のフィールドこそが〔個性〕や〔個人差〕の母体であり、あらゆる音楽の〔芸術化〕と〔生活化〕が行われる場所なのである。
 ですから〔S〕や〔M〕の世界には個性差や能力差は少ないことが望ましく、誰でもあたかも言語をあやつるように使いこなし、理解できることが必要なのである。
 しかし、現実の音楽科教育の現場ではこの〔L〕のフィールドについてのいての配慮は「楽しませる」とか、「生き生きと活動させる」というような文学的表現で目標化されることはあっても、それを評価の場面とか指導の場面で具体化することが難しいため、絵に描いた餅に終わってしまうことが多いのである。しかし、音楽科教育、特に義務教育における音楽科教育のねらいはプロ・ミュージシャンの養成ではなく人間形成の一部として音楽鑑賞や音楽表現が能力化されることであるから、この〔L〕の教育こそが大切なのである。ここで、評価されるのは〔感受性〕に関わる〔感情〕や〔情動〕、〔無意識の意識化〕等である。
 〔感覚〕→〔感性〕→〔感受性〕という〔S〕→〔M〕→〔L〕の流れは例えば次のように考えれば納得出来るであろう。
 ここに一冊の本があるとする。その中に書かれている物語を理解するには文字が読めなければならない。つまり、〔S〕のレベルである。その物語が悲しいストーリーであることを理解するのは〔M〕と同じレベルで〔感性〕が必要である。そして、それを読みながら自然に涙が溢れ出るというのが〔L〕即ち〔感受性〕の世界である。この涙が出る理由は自分のことのようにそのストーリーを捉えることによるわけで、悲しい経験をしたことがなければそういうことにはならないであろう。
 次に示すのはいささか分析的過ぎて味気ないが、子供の能力を細かく分類して何は有る、何は無いということを正確にチェックするためのチェックリストとして参考にしている。

図 3

 この図の意図するところは学習内容を〔S〕〔M〕〔L〕のレベルに分けて、それぞれのレベルで学習されるべき内容とその関連を明確にすることである。


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