福本謹一,「絵画表現の指導と実際」, 『美術教育の理念と創造』, 黎明書房,1994, pp.196-207
(1)絵画のねらいと内容

■表現学習の意識変革を求めて 子どもたちは、石を並べて顔に見立てたり、曇りガラスに指の先で似顔絵を描いたり自由な発想からいつの間にか画用紙という枠組みの中に「絵画」を組み立てていくことを期待されていき、いつの間にか、絵画は紙と筆で描いたものという固定観念に縛られるようになる。先生の方でもそうした絵画の「作品づくり」をめざしていったり、逆に「作品主義」というレッテルを貼られるのが嫌でちょっぴり意気込んで、変わった絵画題材の「ネタ」探しに奔走することもしばしばである。このようなことは、「絵に表す」指導の理解が不充分なために起こってくる。絵画表現を指導するうえでは、子どもの視点に立つ学習の理解とそれを支えるねらいの明確化、それにねらいと一体化した指導の展開が不可欠である。従来ややもすると芸術という文化の伝達的な指導に陥りがちであった絵画指導を子どもから見つける表現学習へと意識変革していく必要があろう。
■絵画学習の基本的なねらいと内容をおさえる 「絵に表す」活動は、視覚的、感覚的にイメージしたものを形や色に託しながら自己を表現することを学習し、言語などの表現様式とは異なる表象の質を磨きながら自己の内面を豊かにして個性的な人格へと向かうことが期待される。こうした絵画表現の教育的意味は、学習指導要領のなかで目標と内容に分けて示されている。これを受けて絵に表す学習を縦断的に分けると以下のようなものが考えられる。

(1)生活を見つめる眼と感性的かかわり 人や事物とのかかわりにおいて絵を通して伝達する内容を見つけ、生活を見つめる眼を養う。 
子どもたちの生活における人や事物とのかかわりは多様である。人とのかかわり方も、自分を中心としたものから、家族や友達、近所の人といった身近な人達へ、そして社会のなかの人々へと広がり、深まっていく。いろいろな人と話しをしたり、時には喧嘩をするなかで、人との心の交流の大切さを知っていく。また、ものを集めたり昆虫採集をしたり、植物の栽培、動物の飼育を通じてものや生き物に対する興味も高まり、それらを観察したりする楽しさや、成長や変化の様子を愛情をもって見守ることができるようになる。
 こうした生活の中の出来事や感じたことを絵に表すのが生活画である。生活画は、自分の身近な生活を見つめ直すことを通して、子どもひとりひとりが自ら絵の主題を見つけることで、絵画表現に対する自信を持たせ、意欲的な表現へと向かうことを期待するのである。
(2)見えの重視と探求心 人や事物、自然を造形的表現の対象としてよく見て表現する活動を通じて、観察力、表現力を高める。
 子どもたちは、生活の中での経験や体験を伝えようとするだけでなく、次第に周りの人や事物に固有の形態的特徴や、感覚的印象を絵に表現しようとする。遊びや飼育、栽培を通しウサギの毛の柔らかさに気づいたり、ザリガニの形や動きに興味を持ったり、人の表情の面白さやものの前後の関係に気づいたり、自然の美しさに感動し、ありのままに表現する欲求が高まってくる。また、個別的な対象に特別の意味を持たせること、つまり象徴化による表現を知るようになると、対象への興味も倍加する。
 こうした対象の視覚性を重視して絵に表すのが観察画である。観察画は、対象をじっくり観察することを通して、形態的、視覚的特徴をつかみ、それを造形的に表現する技術を習得していくことが中心になる。こうした観察に基づく表現は、ともすれば概念的な表現に陥りがちなものの見方を見直す機会を与える。中学年以降、ものの見え方が大人のそれへと近づき、自分の表現技術の未熟さに失望しがちな時期には、こうした見ることの重視が要求されてくる。

(3)イメージ化と想像性 物語や空想を基にイメージしたことを絵に表すことを通して、想像力や創造力、表現力を身に付ける。
文学や民話を基に視覚的なイメージを膨らませたり、空想を表現する活動は、子どもたちの身近な世界を離れて、未知の世界や空想の世界に遊び、疑似体験をしたり、追体験することで子どもたちの世界観が広げられたり、豊かな想像力や創造力の育成につながるものである。日常の生活体験に基づくのではなく、思考や想像を働かせて一つの絵にまとめるといった構想力もそこにはかかわってくる。
 このような能力にかかわる内容としてお話しの絵や想像画がある。これらは、読解を通して構想力を発揮してイメージを構築したり、現実の枠組みにとらわれないで思考し想像するという思考活動だけでなく、現実的なものと離れた視覚イメージを構想できるので、造形表現上のさまざまな技法や技術に挑戦する機会を与えることにもなる。子どもにこんな表現もあるということを知らせたり、自分では見つけにくい技法を補うことで、他の絵画表現の際に応用する力を培うことができる。

■子どもの発想を楽しむ絵画学習へ
 これらの内容のかかわり方は並列的であるというよりも、絵を表す学習への主体的取り組みを期待しながら、経験を基に生活を見つめる眼を育てる学習を主軸にして、視覚性(見え)へのこだわりやイメージ化による表現の可能性をからめて造形表現に厚みを持たせ、その過程で生活心情の高まりや自己の内面の深まり、個性の確立といったことが引き出されてくる。
 絵画表現では、いずれの内容を扱うにしろ子どもたちの経験や体験から出発することが大切であり、生活のなかに絵に表現する題材が無限に潜んでいることに気づかせたり、自分たち自身で表現を工夫していくことに価値があることを知らせて、絵に表す自信と表現への意欲を高めていくことが望ましい。これまでも「のびのび」「いきいき」という言葉で子どもの主体的な表現学習が標榜されながら、実際には「いかに表すか」を先生が先取りし、「何を表したい」という子どものイメージや気持を大切にして支援することを忘れがちであった。子どもたちの思わぬ発見や発想を先生が楽しみに待つような絵画学習を求めたいものである。

(2)絵画の指導

■指導観、子ども観の違いで絵がこんなに変わる 図画工作科、美術科の絵画指導の意義をふまえながら指導をしているつもりでも、先生個々の指導観や子ども観の違いによって子どもの表現は大きく異なってくる。小学校1年生の絵をてがかりにして、絵の表現がどう違ってくるのかを見てみることにする。次の2枚の絵(写真1、2)は、「えをかくともだち」と「えのおてがみ」という題材のなかで生まれたものだが、一方は観察の絵、他方は生活の絵という分類でとらえるのではなく、指導過程を見据えながら題材の裏にある指導のねらい、先生の指導観や子ども観について比較して、学年にふさわしい絵画指導のあり方を考えてみたい。
「えをかくともだち」は、授業で四つ切りの画用紙に描いた絵で、「えのおてがみ」は日頃から先生に伝えたい内容を見つけて小さな紙に描いたものである。これら2枚の絵を詳しく観察してみると、友達をモデルにして見て描く絵と、生活からテーマを見つけて経験を表す絵の指導の一般的な指導方法から生まれたものでないことは容易に察することができる。実際の指導過程を予想して、定型的な方法と比較したものが表1である。
「えをかくともだち」の学級の絵は、細かい点で個人差はあるものの、身体のポーズや画面構成、あるいは輪郭線の色からセーターの一本一本の線の色の順序までどの子どもも一致している。先生の言葉かけがそのまま伝わってくるようである。「えのおてがみ」のほうは、「お父さんと一緒にお風呂に入った」、「お兄ちゃんと喧嘩した」、「庭の木に鳥が巣を作ったよ」・・・とひとりひとり知らせる内容が違い、作品というよりも伝言板のようなものであるが、子どもたちそれぞれの生活の様子、興味や関心の対象などをうかがい知ることのできる貴重な資料でもある。

■「じどうが」vs「しどうが」
 これら2枚の絵の指導過程の違いは、先生の指導観や子ども観だけでなく、実態把握の仕方、さらにはそれに基づいた指導目標の違いによって導かれる。それをまとめてみたのが表2である。どちらの先生もしっかりとしたねらいをもって指導をされていることがわかってくる。問題は、低学年という発達段階を考慮して、子どもたちが美術に親しんでいってくれるかどうか、進んで絵を描く子どもになってくれるかどうかを考えるとき、どちらの指導がふさわしいかということである。
 「えをかくともだち」の絵の上下を逆さまにしてみると、その絵のなかの友達が描く子どもの姿が見える。その表現には、描き手である子ども自身の飾らない姿が表れている。子どもの未熟な表現を先生の願うような絵にすぐさま導くことが指導だと考える人もいるが、それでは作品として立派なものはできても、いつも受け身で、いわゆる「指示待ち」の子どもにしか育たないのではないだろうか。子どもたちの素直な表現から出発して、経験、体験のなかから絵の主題を見い出し、絵に表す工夫を子どもたちが主体的に発見していく過程を大事にすることは、低学年の指導というだけでなく、絵に表す指導の基本になる。子どもの絵は、先生から見れば稚拙かもしれないが、先生の好みばかりで「作品」を追い求めると、「じどうが(児童画)」が、先生には不満に見える部分、すなわち「濁点」を取り払われて、「しどうが(指導画)」になってしまうのではないだろうか。この濁点は、大人の眼には「濁った点」でも、子どもにとっては創造性や個性を育んだり、絵を描く自信につながる素である。むしろ先生自身の眼の「濁り」を取り除く努力をして、子どもの絵に表れたよさを見つけるようにしたいものである。

■発達段階に応じた指導をめざして 自己表現を促す指導の理念をふまえて、子どもたちの発達段階や思考や技術的な実態を考慮した指導が求められるのは言うまでもない。
 生活の絵の指導では、「母の日お母さんを描こう」「運動会楽しかった様子描いて」と先生が決めたテーマへ収斂させるのではなく、子どもたち個々の想いを大事にする投げかけが必要なことは「えのおてがみ」の実践からもわかる。ひとりひとりが違った経験を絵にしてくれれば、子どもたちの興味、関心が今どこにあるのか、どんなことに悩んでいるのか、家族とのかかわりがどうであるのかなどを知るてがかりともなる。低学年では、こうした自分が見つけたこと、したことが中心で表現をするが、中学年では、友達や家族と一緒にしたことなどが描く主題として選ばれるような指導が必要である。高学年では、身近な社会とのかかわりを主題にしながら、構想化し、技法の選択を通して試行錯誤できるような指導が考えられる。中学校では、資料や調査による主題選定を基にすぐ絵にするというよりも下絵などをふまえて構想を練り、造形的な効果を考えた表現に向かうことが望ましい。

 お話しの絵、想像の絵の指導では、子どもたちの実態に合わせて、先生主導の指導が展開できる。生活の絵の場合は主題を子ども自身が決めるのに対して、物語や想像の絵では物語や場面設定を先生が決めることができるので、技法的なねらいなどを明確にして指導することが望ましい。低学年で、いつも同じものしか描かない子どもや好きな色しか使えない子どもがいれば、「不思議な花園に迷い込みました。そこは迷路になっていて、最初に入った花園には、みんなの好きな花が咲いていました。角を曲がるとピンクの細長い花が咲いていました・・」というようなお話しをすることによって、最初は自分の好きな花を好きな色で描けるが、次からは先生の指示に従って色や形を使い分ける必要があるので、必然的に違った色や形の表現に慣れさせることができる。物語り絵で、画面構成について意識化させることをねらいにするのであれば、低学年では、ものの大小関係をつかませるような、「ガリバー旅行記」、「大工と鬼六」など、高低表現をねらう「鴨とりごんべえ」、「ジャックと豆の木」などというように国語的な読解による場面の選択のみならず、造形表現上のねらいを明確にして選択すべきである。中学年や高学年では、ものの前後関係や時間経過、重なり表現といったことを考慮した内容を持つものだけでなく、社会性、国際性を考慮したものなど物語の選択が重要である。高学年から中学校にかけては、ドラマチックな演出効果をねらった造形技法の紹介や、視覚資料、鑑賞資料の収集などによる計画性を持つ指導をしたい。

 観察の絵では、低学年では生活の絵を主体にしていく中で興味をもったものなどを必要に応じて大きく表現させる程度でよいだろう。中学年からは、部分と部分の関係を考えて表現させるようにしたい。高学年からは、対象の部分と全体、画面全体と対象の関係を考えた指導が必要になる。見て描く絵の指導で「よく見て描こう」という指示を耳にすることが多いが、子どもたちには漠然とした指示である。「よく見て」という指示の代わりに、見させる工夫が題材に組み込まれていなければならない。高学年の子どもでも、学級全体の様子を集中して絵に表すことは苦痛である。カレースプーンに映ったユーモラスな顔や歪んだ背景を描いたり、中学校でなら手に持った手鏡や球面のクリスマス飾りに映った顔の一部を自画像として描くようにさせると、画用紙の中に小さな枠組みをいくつか設けることになり、集中した取り組みを期待できるし、子どもたちにとっても鏡の次は手というように達成する部分が明確になるので気楽で、興味を持続しやすい。
 絵画の指導に限らず、表現に安心して取り組め、学習のねらいを興味の涌く方法に置き換えることを考えて題材設定をしたり、指導の展開を図ることが大切である。

(3)絵画の実際

題材「紙くい虫」(想像の絵+造形遊び、第4学年) ねらい:遊びを通して楽しみながらひとりひとりが違った形を創造する価値を知る。「紙くい虫、そんなのいるかな」と知っている虫の形から連想させたり、いくつかの虫を合体させたりして不思議な形の虫を想像してサインペンで線描する。虫が食べた痕を線香で焼いて穴開けをする。焼き痕の穴に下から好きな色の紙をあてがって、簡単な彩色をする。(写真3)

題材「機械の中から」(観察の絵+想像の絵、6年) ねらい:対象を基によく見て描きながら、次第に想像を膨らませて空想の世界を描く。不用になったり、捨てられた古い機械の裏ぶたを開けたり、分解して、中の部品を取りだす。それが不思議な形や線であふれていることに気づかせながら、興味を持った部分から描き広げる。描き進めながら、子どもたちの発想で、宇宙基地や未来都市に見立てて楽しい空想画に発展させる。(写真4)

題材「心の部屋」(想像の絵、中学校第1学年) ねらい:透視図法の学習を基に、楽しみながら発想を広げて、心の中にある「部屋」(心的状況)を構成させる。

題材「心の部屋」(想像の絵、中学校第1学年) ねらい:透視図法の学習を基に、楽しみながら発想を広げて、心の中にある「部屋」(心的状況)を構成させる。画用紙の内側に枠組みを作らせ、その中に透視図法で部屋を描かせる。部屋が出来上がったら、窓、ドア、ベッドなどいくつかのアイテム(部品)を追加させる。導入段階で板書した部屋に学級全体で追加するアイテムを考えさせると、意外なものが追加されて発展する。これを参考にアイデアスケッチをいくつかさせながら、最終的に彩色した作品を製作する。思春期の中学生に適しているとして、シュールレアリズムの作品を参考に心象風景をドライポイントなどにより製作をさせることがあるが、その場合、無理に不安感を確認させたり、様式に当てはめようという傾向がある。この実践の場合、作品には結果として中学生の内面が表れて、その読み取りも可能であるが、連想を楽しむうちに芸術療法的な効果があったりすることはあっても、それが本来のねらいとはなっていない。(写真5)

参考文献
宮脇理監修、福田隆眞、福本謹一、茂木一司編集、新版美術科教育の基礎知識 建帛社
西光寺亨著、絵で見る子どもの生活、教育出版