鑑賞コラム2
作品を語る
岡山大学教育学部 赤木里香子
●なぜ「作品を語る」のか
ある作品を見る。何かを感じる。時には感動する。それをひとり自分の胸の中だけに秘めておくのも悪くない。しかし、その感動を他の人にも伝えたいと思ったとき、あるいは、人がその同じ作品から何を感じたかを知りたいと思ったとき、そこから「作品を語る」ことが始まる。
●描写・解釈・評価
「作品を語る」ためには何が必要なのだろうか。「描写」「解釈」「評価」の三段階で考えてみよう。
いま自分が見ているものは何かについて語るのが「描写」である。たとえば絵なら、何が、どんな色で、どんな形にあらわされているか、はっきり人に伝わるよう的確な言葉を選ぶ。材料や技法にも注目できるだろう。好き嫌いや良し悪しについては、ここでは問わない。
作品からどんな"メッセージ"を受け取ったか、言葉で表現し整理していく段階になると「解釈」である。海を描いた絵があるとしよう。そこから自然の力強さを感じるか、日常生活から解放された喜びを感じるか、海に生きる人への憧れを感じるかは、同じ絵でも見る人によって違ってくる。「解釈」するのは、作者の"メッセージ"ではないことに注意しよう。作者の心情を知ることも重要だが、作者の意図とは違う「解釈」もあっていい。
「描写」と「解釈」のあいだに、もう一つの段階を考えることもできる。「描写」で注目するのは、いわば作品の部品。しかし、部品がどのように組み立てられているか、相互にどのような関係にあるかにも触れなければ、「解釈」まで踏み込むこが難しい作品もある。これを「分析」と呼ぶ場合もあるが、「描写」「解釈」とはっきりと区別できないことも少なくない。
最後に、「描写」と「解釈」を根拠にして、それが良い作品、優れた作品といえるかどうかを決める。この価値判断が「評価」だ。
「作品を語る」と言えば、「評価」にのみこだわりがちだが、むしろ大事なのは前段階である「描写」と「解釈」である。しっかりした「描写」と「解釈」がなければ「評価」にも説得力がなくなる。
●作品を語り合う
ここまで書いてきたことは、実は批評と呼ばれるものでもある。美術批評といえば難しそうだが、作品の価値を自分の眼で見つけ出し、他人に言葉で伝えることができれば、誰もが批評家といえる。
「作品を語る」うえで大切なのはオリジナリティである。人の意見の受け売りではいけない。しかしそれは、人の意見を無視してよいということではない。
批評は他者との対話のためにある。作品を語るのは、作品を語り合うためである。鑑賞指導でもこのことを大切にしたい。子どもたちを萎縮させないよう配慮して、「みんなで作品について語ろう」と促せば、子どもたちは思いついたことを好き好きに口にするかもしれない。最初はそれでも良い。次に何をしなければならないだろうか。
ほかの子どもの意見をよく聞いたうえで、それぞれの子どもが自分の意見をもてるようにすること。他者との対話を通じて、自分の力で作品を見る眼を育てていくという目的を忘れないようにしたい。先生も一緒に作品を見ることに参加しながら、子ども同士の対話の媒介者になろう。語り合う場での作品との出会いは、よりいっそう刺激的なものになることだろう。
●「描写」の指導
「作品を語る」ために、まえもって準備が必要かどうかは議論が分かれるところだ。白紙の状態で見るべきだとする意見もあるが、それも作品によりけりである。知識がなければ、何が「描写」されているのかすら言葉にできない作品もある。
またイメージを適切に「描写」するには、ある程度のボキャブラリーが蓄積され、言語能力が磨かれていなければならない。
アメリカで提唱されているDBAE (Discipline-Based Art Education)では、美術教育の4つの柱のひとつに美術批評を立て、作品を描写するための練習を低学年から実施している。たとえば「まっすぐ」「ジグザグ」「らせん」「水平」「垂直」などといった線についてのボキャブラリーを、線を描く活動と結びつけて身につけさせる。
作品を鑑賞し、その造形要素を指摘するときには、そのボキャブラリーを使いこなすよう促される。言葉の使用について、図画工作科で取り上げることに抵抗はあるだろうが、鑑賞指導を充実させる手段としては検討する価値があるだろう。
●「解釈」の指導
解釈はつねに発展していくべき性質のものである。特定の解釈のしかたを教えるだけでは鑑賞指導とはいえない。名画鑑賞の場合、先生としては、作品や作家にまつわる多彩なエピソードを子どもたちに伝えて、鑑賞を深めて欲しいと願うだろう。確かに名画にはオーソドックスとされる解釈がある。ただし、その枠に子どもを閉じ込めてしまってはいけない。その解釈を出発点として、自分なりの解釈を子どもたちがつくっていけるよう、作品を「語り直す」きっかけを与えることだ。いったん「描写」の段階に帰って、初めて見るような気持ちで作品を見直すのも有効だ。
それでは、友だちの「作品を語る」ときはどう指導すればいいのだろう。当然オーソドックスな解釈などないので、最初から最後まで「自由に」解釈させてしまいがちである。しかしこの場合も名画の鑑賞と同じことで、大切なのは解釈を発展させていけるかどうかである。突飛な意見を言い合って自己満足して終わるだけでは、「作品を語る」意味がない。語り合う場をつくることは、子どもたちの、次の製作活動に向かう意欲をわきたたせ、表現の工夫を重ねる姿勢を導き出してくれるだろう。
(赤木里香子)

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