ミュゼアム・カンヴァセイション

福本謹一


シカゴは、風の街と呼ばれる。冬の寒さは、厳しく風が冷たい。
しかし、夏は、ミシガン湖からやさしい風が来る。

 アート・インスティテュート・オブ・シカゴのギフトショップでヴィクトリア時代のステレオ・スコープのレプリカを店員に見せてもらいながら、$278という値段に考え込んでいると、背中越しに「福本さんじゃありませんか?」と声がした。驚いて振り返ると、見覚えのある顔がいたずらっぽく笑っていた。
 「やっぱりそうだ。こんなところで何してんですか」日本のとある地方美術館の学芸員をしているM君であった。
 一瞬あいまいな微笑みを返したボクは、「明後日からモントリオールで世界美術教育会議というのがあって・・・本当だよ。千人も集まるやつで、日本からも70人ほど参加するらしい。それより君は?」と聞いた。
 「出向でというより、最近美術館の仕事もつまらなくて、悩んだんですけどちょっとメトロポリタン美術館の美術館教育のワークショップに出てみたいと言ったら許可してくれたんで・・・ここにも寄りたくて帰りはシカゴ経由にしたんです」
 「何か目当てはあるの?」
 「ジョゼフ・コーネルのあれですよ」あれとは、コーネルのガラス玉や本の挿し絵の切り抜きなんかが詰まったオブジェ・コラージュとでもいうような箱の作品のことである。
 「この前、コーネルの回顧展が岡山の倉敷であって、圧倒されてしまったよ」
 「私は、滋賀の県立美術館で見ました。瞑想に更けってしまうんですよね、彼の作品の前じゃ・・・」
 「福本さんのお目当ては?」と彼が尋ねたところで、まだステレオ・スコープの値札をいじっていたボクに愛想を尽かせた店員が、"You think about it!"と言って、そのおもちゃをガラスケースにしまってしまった。半分心残りだった。
 「やっぱりここじゃ、スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』だよ。何度見ても飽きさせないし、大きな声じゃ言えないけど・・・」と言いかけて一瞬口をつぐんだ。「カニングズバーグの『クローディアの秘密』っていう児童文学読んだことある?あのクローディアという女の子は、メトロポリタン美術館で一晩明かすわけだけど、ボクもゆっくりしてあの絵の前で食事なぞしたいくらいだよ」
 「やめてくださいよ。そのうち、またあの絵が欲しいなんてことに」とM君はボクの顔をのぞき込んだ。
 「いやあ、なにしろ自称コレクターなんだから」と、自分でもおかしいくらいホコホコとした音を立ててボクは笑った。
 「ところで、いつ発つの?」
 「確か明日のお昼頃です」彼は、ごそごそとウェスト・ポーチを探りかけた。出発時間もろくに覚えていないで、初めての海外旅行というわりには、のんびり屋である。「ああ、12時半のユナイテッドです」
 「じゃあ、ゆっくりシカゴ見物というわけにはいかないね」
 「だって、メトロのワークショップ、1週間もあったんですよ。これ以上休みとれないですよ。テキは、上司だけじゃなくてカミさんもいますからね」と、羨ましそうな目つきで彼は言った。
 「ところで今何時かな。4時前か。よければもう一度グランドジャット見ていかない?」と彼を誘った。
 「いいですよ。その前に、土産ちょこっと買ってきますから」
 彼がシカゴ・インスティテユートのロゴの入ったマグカップを買いにキャッシャーに行っている間、ボクは、ステレオ・スコープの1851年のロンドン万国博の水晶宮の写真を見損ねたことを悔やんでいた。
 「じゃあ、行きましょうか」
 守衛の前をもう一度通ってホールの正面階段をキョロキョロしながら登った。グランドジャットは、2階に上がったところを右に曲がって2つめの部屋に置かれていた。グランドジャットは、年毎に展示場所が違うせいか、訪れる度に印象を新たにする。
 グランドジャットは題名を知らなくても、美術の教科書に必ず載る定番商品である。作者のジョルジュ・スーラをアメリカ人は、ジョージ・スラーとして認識している。7、8年前には、ブロードウェーで「日曜日に公園をジョージと一緒に」("Sunday in the Park with George")というグランドジャットをモチーフに、場面をニューヨークのセントラル・パークに置き換えたミュージカルがあったくらいだから、彼らにとってもスーラはなじみのあるものらしい。
 「点描画」と言えば誰もが納得するその絵は、スーラが1886年に完成させた大作(207.6×308cm)で、セーヌ川の中洲にあるグランドジャット島で憩うブルジョワジーの人々を揶揄して描いたものと言われる。穏やかな初夏の光に満ち溢れる風景に、こちらも一緒に足を伸ばしたくなるような雰囲気の絵である。その絵のどこに社会派ドラマ的な要素が含まれているのかよくわからなかった。1987年にシカゴ・インスティテュートが出す『博物館研究』の特集「グランドジャットの100年」("The Grande Jatte at  100" )に載せられた様々な蘊蓄、いや見解を読んで納得するものがあった。グランドジャットで点描という実験、すなわち、パレットでの混色をやめて、原色をキャンバス上で並置し、鑑賞者の眼のなかで混色をさせることを行う直前の作品が、「アニエールの水浴」である。この作品でも、人々が川べりで憩う姿が描かれている。その人々は、実は、同じセーヌの川べりで裸になって水浴を楽しむ労働者。アニエールというパリ郊外の工場地区で働く人々の余暇の姿がそこにある。構図的に対置するだけでなく、この2点は地理的にもセーヌ川をはさんだ対岸に位置するのである。「アニエールの水浴」の人々は、右向き、すなわちグランドジャット島を向いており、グランドジャット島のブルジョワたちは、左向きになってアニエールを見渡している。グランドジャットは、「アニエールの水浴」と比較することで、より当時の社会、風俗、時代へ、ときめきながら迫ることができる。
 「右端のカップルの女性が猿を連れているだろう。あれは、高級娼婦なんだってさ」と得意げにボクは以前仕入れたネタを披露する。すると、彼は、驚くふうでもなく、「そうでしょうね。だって猿がヨーロッパに紹介されたのは、18世紀頃でしょ。オランダが交易で栄えてた頃じゃないかな。今で言えば爬虫類をペットにしているような趣味ですからね。それにしても静かな絵ですよね。人がこれだけ描かれているのに、音が聞こえてこない」
「確かに、遮断されている」ボクは、ちょっと不満げに図像学的解釈に引き戻しを試みた。「色彩を固有色としてでなくて、光の微妙な変化ととらえて・・・あの真ん中の少女を真白く描いたのは、光が集まることで、色みが消えて白になる象徴なんだそうだ」もう一度、少女に目をやりうなずきながらボクは言った。
 「それより、何が描かれているのかわからない部分がいろいろあるよね。左中央にパラソルをさしたお祖母さんの傍らに赤い変な形をしたものがあるだろう。ずうっとあれを金属製の何かだと思っていたんだけど、乳母の後ろ姿らしいんだ。ターバンを巻いたインド人風だろ。でも、絵の右端のとんがったやつとか、例の婦人の背中ごしに見えるものとか、一体何なんだろうね」
 「ぼくには、乳母車のように見えますけど」
 M君の答えは妙にそれらしかった。「じゃあ、川の奥の方の蒸気船は、なぜ傾いているんだろう。左上の雲の下のこんもりとしたものは?それから、前景の人達は、影の部分になっているわけだけど、左側にかなり大きな木があることになる。なのに、女性たちは、影のなかでも日傘をさしている。いわゆるUVケアっていうやつかな?どうもこの絵を見ていると、ブリューゲルの子どもの遊戯やなんかの絵を思いだす。謎ときをしないではいられなくような、強迫観念に襲われるんだよね」
 "Oh,is this what you mentioned? ..." 甲高い二人連れの声に、ずっとかぶりつきだったことに気づき、ボクたちは後ろへ下がった。二人の会話からは、「ポインティリズム(点描派)」だの「ゴージャス」などの言葉がもれ聞こえてきて、先ほどの時間をリプレイしているような錯覚を覚えた。この二人も絵解きの快楽を共有しようとしているのだ。
 「アニエールの水浴っていうスーラの絵知ってる? あれが、向こう岸にある街らしい」とボクは、またしても蘊蓄を披露した。
 するとM君は、眉をよせて、「アニエール?アニエールといえば、ルイ・ヴィトンの工場もそこにあったはずですよ。1850年頃に工場を建ててますから」と言った。
 「えらく細かいことまで知っているんだな」と蘊蓄を返されたショックでボクは小声になった。
 「いえ、ただあの頃は鉄道が発達して、フランス人は、週末になると何時間もかけて海岸をめざしましたよね。機関車や駅舎を画題に選んだ画家も多いし。モネもその一人です。そうした旅行の目的に応じて、ヴィトンは、多様な鞄類を作って成功したわけです」
 「ふうん、そうなのか。そんな昔からあるブランドだとは知らなかった」
人の動きがせわしなげになってきた。閉館時間が迫ってきたらしい。
 「ところで、さっき、この絵からは音が聞こえないといったね。ボクもずっとそれに似た感じをもっていたんだ。だから、あの絵のなかに入り込んで、あのカップルの会話を聞く。あの人達の間を縫ってグランドジャットを散策してみたいんだよ」と絵のなかの木立を見やりながらボクは言った。
 「ヴァーチャル・リアリティー」とM君がつぶやいた。
 ぼくは、その言葉をきっかけに言った。「ちょっとした夢をもっているんだけど・・・芸術を鑑賞するには、今のところ美術館しかない。芸術を鑑賞するといっても、本物に触れて、それで終わり。その場で、疑問に答えてくれたり、関連する作品や、作家の隠れたエピソードがわかるわけじゃない。マルチメディア・ソフトなんていうのがあって、ちょっとばかしそれに似たことはできるけど、子どもだまし。コンピュータのなかだけで実現するなんてゆうのは、つまらないんだ。アメリカには、大きな美術館や博物館がある。メトロポリタン、ボストン美術館、ナショナルギャラリー、フィラデルフィア、シカゴ・・・日本も駅弁美術館ができてきたけど、1点豪華主義で「クローディアの秘密」のクローディアのように探検する感覚ではない。ウォルト・ディズニーは、ディズニーランドを作ってすぐ、フロリダにエンターテイメントとエデュケーションをめざしたエプコット・センターを計画したよね。夢を体感できる装置を考えたわけ。ヴァーチャル・リアリティーでもいいから、グランドジャットならグランドジャットのなかに入り込んで、その絵のなかを探索できたり、その作家に出会う。芸術の流れを体感できるようなパークを作りたいんだよね」
 「美術館をディズニー化したようなものですか?」M君はあほらしという顔つきで投げやりに言った。
 それには構わず、ボクは続けた。「もう、名前も考えてあるんだ。名付けて、ミュゼドレモス。」
 「一体なんですか、それ?」
 「ドリームとコスモスを一緒にして、ドレモス。でもやっぱり芸術の世界なんだから、ミューズに敬意を払って、三位一体。めでたし、めでたしっていうわけ」
 「なんか響きがよくないんじゃありませんか。まあ、もう閉まりそうですね。行きましょうか」

 玄関の階段をおりると、こま犬ならぬライオンが2頭、シカゴ・インスティテュートを守っている。夕方といっても、まだ陽は高い。階段には、けっこうの人が腰かけて、地図を開いたり、通りの車の流れを見ている。正面通りの奥に110階建てのシアーズ・タワーがそびえる。美術館前のミシガン通りの右手遠景には、これまた98階建てのジョン・ハンコック・センターが黒い姿を見せている。日本でなら、からす城とか呼ばれそうなところだろうが、ここでは「ビッグ・ジョン」である。ちょっと、卑猥な意味もあるが、都市のアイデンティティーは明確である。シカゴは建築の都市である。デザインされた街。シカゴ美術館を訪れる人の数、年間185万人・・・。
 ふうっと息をして、二人で北に歩きはじめた。


「求心遠心」1995