大学美術教育学会誌, 第28号, 1996, pp.55-64

ハイパー・メディア鑑賞教材「マネとその時代」に関する一考察
A Study on the Hyper Media Learning Material "Manet and His Time" for Appreciation Education


兵庫教育大学 福本謹一



はじめに
 近年、鑑賞教育に関わる環境は大きく変化しており、美術館の教育普及活動の進展、コンピュータ・メディアの発達、視覚メディアの充実などによって鑑賞への関心は高まっていると言えよう。学習指導要領においても従来以上に鑑賞に積極的な意義を認めようとしている。これまでの鑑賞は、創造的自己表現を主眼とした教育課程の陰に隠れて、従属的な位置づけにあった。それは鑑賞の質的側面が情緒的で感性的なものだという短絡的な認識でもあるだろう。鑑賞に正しく向かうためには、知的理解が決して自己表現を阻害するものではないという基本的な認識をもち、鑑賞が視覚文化を受け身的に「見る」ものではなく、むしろ主体的に「読みとる」ものという方法概念を前面に押し出して、その手がかりを主体的に探し出すような探求的プロセスを重視したものが求められてよいはずである。今後鑑賞教育が成熟していくかどうかは、鑑賞を創造的な知的活動ととらえていくことができるかどうかによるだろう。
 しかし、ややもすると知識に偏重したつまらない鑑賞があったことも確かである。指導要録の改訂によって造形への意欲・関心・態度が第一義的に設定されたのは、明確な学習目的や知的興味に裏付けられた学習の楽しさの追求を意味している。エデュティメントという言葉はエデュケーションとエンターテインメントを合成した造語であるが、鑑賞学習においても「楽しさ」と「学習」を同値化し、教育目標を隠し味としながらいかに興味・関心につながる学習活動を期待したものにできるかが課題である。
 コンピュータの美術教育における有用性への検討は、さまざまな実践やメディアを通じて報告されているが、その大多数が創造表現にかかわるものである。そこで、マルチ・メディア教育といった今日の教育的要請をも見据えながら、鑑賞教育においてコンピュータを利用した教材(学習メディア)の可能性を探ることを目的として「マネとその時代」を開発した。この鑑賞学習のメディアは小学校高学年から中学校3年程度を対象にマッキントッシュ・コンピュータのハイパー・カード上で構築したハイパー・カード・スタックである。今回そのユーザビリティ・テストを行い、スタックの問題点と鑑賞教育におけるハイパー・メディアの発展性について考察する。

ハイパー・メディア鑑賞教材開発の視点
 ハイパー・メディア鑑賞教材の開発にあたっては、拙稿1)において最近の美術全集や美術館教育の動向などの分析を行ったが、そこで明らかになったことは、鑑賞のスタイルが作品の「美しさを享受する」ことを第一義にしたものから、作品の解釈の「分析過程を共有する」ものに変容しつつあることである。すなわち鑑賞者に鑑賞のプロセスやアプローチをあらかじめ提示し、一定の鑑賞視点を用意するものになっている。このように特定の解釈をアプリオリに提示する方法では、作品自体への生身の鑑賞のように作品自体との対峙から生まれる自由な鑑賞を制限するかもしれないが、作品を「見る方法」を提示する上では有効である。学習指導要領の「よさや美しさを感じ取り」といった情緒性に還元される鑑賞ではなく、知的興味や関心を伴ったものへと高めるひとつの方法論としてとらえることができる。こうしたことは、多面的で任意なアクセスを可能にするハイパー・メディア上での扱いによってより自由なものとなるだろう。それによって、「分析過程に参加する」意識をもつことも可能になるかもしれない。
 こうした鑑賞のアプローチを前提としてハイパー・メディアによる内容構成の視点を以下のように設定した。
(1)芸術家や作品の情報・評価を言葉によって概説するのではなく、作品の部分や他の写真資料などあくまで、視覚資料を主に提示しながら、実証的な方法によって解釈が与えられていくプロセスをシミュレートするものにすること。それによって学習者は、「絵解きの快楽」とでもいうものを共有していくことができる。すなわち鑑賞を全体的な印象や、色や形態の造形的要素だけに還元するのではなく、読みとりの方法論に対する示唆を受け取るようなものが望ましい。
(2)個別的でインタラクティヴな学習を可能にするハイパー・メディアとしては原則として学習者個人の任意的なアクセスを可能にする情報や資料の構造的関連づけが必要となる。そのためには情報がラチス(格子)構造やネットワーク(網目)構造になったものが理想的であるが、あらかじめ目的意識が学習者の側にない場合にはその利点が生かされない。従ってある程度の方向性を限定しておく必要がある。
(3)学習者の興味・関心をもたせるためエデュティメントの要素として全体の流れに探索的ゲーム性を含ませること。また学習者が興味を維持できるように目標意識をもたせる設定を行うこと。
(4)プログラムは、できるだけ単純なものに限定して教師・学習者がオーサリングによる独自のメディア開発上の参考にできること。
 こうした基本的な視点に基づき、「マネとその時代」ではマネの「笛を吹く少年」に焦点化し、さまざまな関連文献をもとに基本的な情報を抽出し構造化した。その内容の関連図式を考えると、さまざまな組み合わせが可能であるが、一例としては図1のようになる。この場合、含まれる情報の学習における位置づけは、情報の総体と学習とが等価なものとして扱われるのではなく、知的探求をめざすような過程的な学習が成立する契機を提供する一つのコンテクストと考えるべきである。
 しかし、このような情報の一元的な構造化だけでは、インタラクティヴな鑑賞学習のメディアとはなりにくい。学習者との応答性をもった構造化を決定していくためには、時代的脈絡を伝えたり作品分析の手がかりとなる視覚資料、あるいは一定の解釈を提示する情報がインタラクティヴに与えられると同時に、分析過程を共有化させるための手続きが必要となってくる。
 このインタラクティヴ性の保持のために、質問形式のテキスト・フィールドを用意することは簡単だが、その反応をどこに返すかが問題となる。チャップマンは批判的思考力を高める問いかけのレベル化を提案しているが2)、こうしたレベルを設定するとしても問いかけを問いかけとして用意するのではなく、学習者の何らかの行為に置き換えていく必要がある。例えば、「どんなものが描かれていますか」(知覚)という問いかけであれば、作品の各部分に隠しボタンを用意し、それぞれに質問・解答もしくは解説を配置し、描かれた部分の確認作業に置き換えていく。「作品の制作年をあげなさい」(知識)であれば、単純に題名プレートをクリックしてそのプレートの拡大図を提示したり、仮想の空間に登場する作者との応対関係から時代や制作年に関するヒントを聞き出すという過程に置き換えることが考えられる。また、作品を分析する過程を共有させるためには、分析に必要な情報を一つ一つ学習者が集めることによって初めてそれらを総合した一つの解釈に行き当たるような過程を組む必要がある。

「マネとその時代」の基本構想とハード・ウェア要件
 こうした条件をふまえて、「マネとその時代」では、仮想現実空間において空間や時間を超越して、様々なモノに出会いながら、必然的に鑑賞に関する情報収集につながるような過程を組み込むことにした。
 仮想空間では、情報のクラスターを学習者に身近なものにするため、1)歴史的、文化的文脈に関する情報のメタファーとして、パリ市内の風景写真や、地図を、2)マネ自身に関する情報のメタファーとして、マネの住む家/アトリエを、3)マネの作品や関連する画家、作品、印象派の情報のメタファーとして美術館を設定した。
 基本的な流れとしては、マネがある作品(笛を吹く少年)をアトリエで制作中であるという仮定で、どんな絵を描いているのかをマネ本人から教えてもらうことを最終目的とした設定である。図1の情報関連図式にある「マネの絵のバックの平面性と遠近法の関わり」「浮世絵の影響」「ベラスケスの影響」といったキーとなる情報に関しては美術館内にクエスチョン・マークのついたボールが現れるようにし、それらを探すことで学習遂行の目標意識を維持することと情報の重要度を示すことをねらった。
 ハイパー・メディアの特性を生かして、多様な視覚資料やさまざまな情報の複合性を統合していく環境設定としては、ハードウェアの最小限の構成で開発・動作できることを基本的条件として考慮し、情報統合のプラットホームとしてハイパーカードを使用した。ハイパーカードは、マッキントッシュ・コンピュータに最初から付属した統合ソフトのひとつであるが、個々の学習者の個別的な学習展開を期待できるオーサリング・ソフトウェアとしての性格も兼ね備えていることやプログラミングが初心者に親しみやすいことなどの長所がある。製作したハイパー・カード・スタック「マネとその時代」は256色以上の表示可能なマッキントッシュ・コンピュータ、システム7.0以上、本体メモリ8メガバイト以上、ハードディスク占有メモリ25.5メガバイト、ハイパーカード2.2以上で動作する。製作したスタックのカードの総数は140枚、画像147点3)である。

「マネとその時代」の基本的シナリオ
 「マネとその時代」の具体的な構成のチャート図を図2に示す。 
 チャートのセグメントAでは、学習者(ユーザー)はパリの地図からパリ市内の路地を起点としてまずマネの住まいを探して訪問する。この過程ではマウスの操作に慣れ、画面内をクリックすることで画像、テキスト・フィールドの呼び出し、別場面への移動、ルートの分岐などが起こることを知る予備的過程でもある。

セグメントBにあたる部分ではマネの家でマネに出会う。しかしマネの略歴に関する情報を得ることはできるが、制作中の絵(笛を吹く少年)に関する情報は与えられない。マネから絵のヒントが美術館にあることを示唆され、馬車で、パリ市内でのいくつかの観光ポイントを経て美術館へ向かう。
 セグメントCは、仮想美術館「マネとその時代」美術館への訪問である。2階の印象派の部屋から探索を開始するようになっているが、壁にかけられたさまざまな絵はいろいろな個別情報を呼び出すことが可能である。第1展示室の床に落ちたメモは電話を探して特定の番号を入力してメッセージを受け取る指示がある。電話のある部屋で、電話に番号を入力させることは、他のエリアで必要になるキーボードによるテキスト入力に慣れることを目的としている。メッセージには3つのボールが出てくる場所を探して進むことで、最終的にマネから絵を教えてくれることが伝達されるが、ボールを探す行為で興味の持続を期待するものである。
 セグメントDは、流れ図の中間点にあたるためキッズ・プレイ・ルームとして息抜きになるように、絵描きボードともぐらたたきにならったマネさんたたきゲームを組んだ。
 セグメントEは中世風の回廊を設定し、単調になりがちな美術館の探索に変化をもたらせるようにした。回廊の奥に怪獣が出てくるが、マネの部屋に行くための呪文を要求する。回廊内の別の場所に騎士が隠れているが、そこで呪文のヒントが館内の図書室にあることを知らされる。図書館では、コンピュータ、ステレオグラム、美術史辞典の3つの部分を作成した。コンピュータは学習者の思い描く作家を当てるプログラムで、質問に答えていくことで、コンピュータが作家名を当てる。当たらない場合は、その画家が答えになるような質問を学習者が入力する必要があり、その質問を考えるためには画家について調べることが要求されるので、主体的な学習につながることを期待している。
 セグメントFの美術史辞典はその表紙の文様に呪文が隠されているが、ページをめくれば画像・情報データベースとして機能するようにした。目次の世紀、画家名から画像検索できる。この美術史辞典は独立したスタックにしてあるので、この美術史辞典に学習者の好みの画像を追加して、そこにテキスト情報や関連する画像を組み込むことができ、複数の学習者によって発展させることができる。表紙で呪文を見つけることができれば、その呪文を再度怪獣の場所で入力することでマネの作品を展示した部屋に進むことができる。
 セグメントGは、マネの作品を集中的に「展示」した箇所である。第3展示室の「エミール・ゾラの肖像」をクリックしてその拡大図を鑑賞することで2個目のボールが出てくるボタンが呼び出される。このボールをクリックすればマネだけでなく印象派の画家たちが浮世絵の影響を受けた解説や画像のスライド・ショーを見せるようにした。
 第5展示室ではベラスケスの「バリャドリャッドの肖像」とマネの「悲劇役者」の対比を通じて、両作品に共通する質問がされる。別の箇所でヒントになる解説を得ることでその質問に解答できるが、入力を制御するために解答は「ポーズと背景」というフレーズに限定している。この解答を済ませれば、鍵のボックスをアイコンにしたボタンが表れ、それをクリックすることでマネの家にワープできる。マネをクリックすると、美術館の図書室の画面になるが、その奥が秘密のアトリエになっているというトリックを仕組んでいる。そこでようやくマネが制作中の絵を完成したということで、「笛を吹く少年」の絵が表示され終了する。

ユーザビリティー・テストの結果と考察
 「マネとその時代」のユーザビリティー・テストでは、ビデオによるプロトコル・データと事後の質問紙を併用して分析した。「マネとその時代」全体をタスク(作業課題)として、時間は90分以内とした。被験者には、情報基礎でキーボード経験のある中学校2年生6名(男子3名、女子3名)を選んだ。
被験者5人の平均所要時間は、60.4分であった。(一人は時間内に完遂できなかった)
 データを整理した結果、次のような問題点を抽出した。( )内は実データからの発話・記述内容の例(文として不適切な場合もあるので、一部修正して人工データとした)。
(1)操作系の問題点
(a)テキスト・フィールドに関するもの
 (説明文の消えるのが早すぎる。まだ全部読んでないよ。文がすぐ消えてくやしかった。読めてから自分で消すようになっていればよい)
ボタンをクリックすることでテキスト・フィールドが現れるが、フィールドをクリックして消せる場合と、数秒後に自動消去するものを用意していた。テキスト量と時間設定が予想したよりも不適切な場合が多く見られた。自動消去させるのはフィールドの消し忘れを防ぐためだが、フィールドを再度クリックすることで消すか、カードが移動した場合に自動消去するように改善する必要がある。
(b)文字入力に関するもの
 (文字を入れるのが難しい。ローマ字変換が難しい。習ったのと違う)
 チャートのセグメントCの電話番号入力の場合に比べ、セグメントEの作家当てコンピュータや、呪文部分、Gの共通点に関する解答に必要な文字入力には全員がアドバイスを必要とした。しかし、技術的な問題なのでこうした入力部分を組み込むことに関しては問題はないと考えられる。
(c)定位に関するもの
 (どこを進んでいるか分からないので、地図か何かみたいなものが欲しい。ぐるぐる回って先に進めない。場面場面のつながりがよくわからない。現在地がわかるといいのに。次どうしたらいいのか迷う。画面が動いて進んで行く順路がわかりやすいとよい。)
 所期の設定では、探検的な要素を含めるためにあえて定位をできにくくしたが、ユーザーはとりわけセグメントAのマネの家を探して路地を進む地点で画面のどこを押すかによって正しく進める場合と同じルートを循環する場合があり、定位に関する要求がでてきた。特に何度も循環するユーザーの場合トラブル意識を強化し、継続意欲を著しく低下させた。また、カード移動命令を記述したボタン上でダブルクリックすると次のカードの同じ位置に別のボタンが配置されている場合、そのボタンにある命令が連続して起動してしまい、ユーザーには元のボタンで期待した操作が働かないように認識されてトラブル(定位困難)の原因と判断される場合もあった。セグメントAがマウス・クリックによるボタンとフィールド、カードの移動など基本動作の関係に慣れるステージでもある点では、上記のようなトラブルは致命的である。

(2)内容・構造に関する問題点
ゲームか鑑賞か
 (ゲーム感覚で早く先に進むことばかり考えていると、手がかりのことばかり気になって出てくる絵をゆっくり鑑賞できない。絵についてだいたい説明がしてあるのでわかりやすい。ただ、ゲームを進めるには、寄り道っぽくなる。)
タスク全体がゲームという認識をされており、そのゲームの過程で電話の位置やボールを探す行為が絵に対する関心よりも優先して働くので、絵が単なるルート上の飾りに過ぎないように認識されたきらいがある。
 セグメントDにあるプレイルームでマネさんたたきゲームがあるがゲーム設定時間(100秒)を使いきったユーザーは一人しかいなかった。「息抜き」として設定したゲームもゴールに到達する意識が強すぎると単なる障害でしかないのかもしれない。
 スタックがゲーム的な色彩を強めたために、個々の絵の価値や絵の関連性など鑑賞の奥行きを伝えるものにはなっておらず、立ち止まって考える行為につながる工夫が必要であると考えられた。

(3)学習の楽しさと学習効果に関する問題点
 (音が出るのが楽しい。音が出ると、何となく正しい道を通っているような気がする。電話が見つからなかったのが残念。全部いけたら「ごほうび」っていう感じで最後にもゲームがあったらいいなと思った。絵を見ないと次に進めないところがよい。「呪文を入れてください」と出たとき○○にあるという指示があってそれを探しに行くところがおもしろかった。)
 スタック自体がゲームと認識されることで予想されることであるが、質問紙の評価尺度において、6人の内「非常におもしろい」と答えたのは1人、後の5人は「結構おもしろい」という評価であった。完遂できなかった被験者はあまり楽しめなかったけど好きという注釈を付けていた。「ゲーム」に仕組まれた部分部分の仕掛けを通じてスタックのゲーム性にユーザー(学習者)の興味をわかせる点では評価されてよいだろう。しかし、マネに関する知識について、事前に知っていたのは4人であったが、「聞いたことがある」、「外国人だっていうこと」といった認知度であった。事後の解答では「絵を覚えているけど、名前(題名)は覚えていません」「浮世絵の影響を受けたことぐらい」「笛を吹く少年の作者」といったものが目立ち知識的な面での効果を期待することは難しいことがわかった。
 ユーザビリティー・テストでは、こうした問題点をもとにスタックを改善することはある程度容易であるが、おもしろさや楽しさがどれだけ学習の追求や主体的な学習行為につながっていくか、絵の読みとりといった鑑賞方法への洞察につながるかといった副次的効果について明らかにすることは困難である。ハイパー・メディアにおいて学習の楽しさを保持しながら学習の深化をどう図り、学習者が自分の思い入れを見いだすような作品に出会うなり、その対象について自分から迫る手だてをどう実現していくかが今後の課題となるだろう。

結語
 今回、鑑賞学習のひとつのアプローチとしてハイパー・メディアによる構築を試みたわけだが、こうしたゲーム的な性格を有するメディアでは、その過程を「楽しむ」効果はあっても、そこに仕組まれた作品や鑑賞の見方に関わる情報自体への関心を引き起こすことに必ずしも直結しないことがユーザビリティー・テストからうかがわれた。また、こうしたメディアは教師側で常に供給し続けることが要求される。そして学習者はそれを使い続けるというメディアの「消費者」として存在し、教師から学習者へという教授・学習過程の図式は変わらないことになる。同種のメディア開発ではあらかじめ構造を詳細に用意して部品を構成するために多大な労力と時間を要する。従って、オープン・エンディッドな構造にして、学習者がアイデアや構造を追加できるようにしておくこともより拡散的な過程を発展させる可能性につながるだろう。例えば、同じ美術館をメタファーとしても、オーサリングの容易な環境設定がなされることで、自分の興味のある絵について調べたことをプログラムし、友達同士でその成果を確かめあうことなどが考えられる。ハイパー・メディアの特質のひとつであるインタラクティビティーが本当の意味で実現されるためには、コンピュータ内部だけではなく、教師と学習者、学習者同士の三者間の双方向性を確立することがハイパー・メディア教材には望まれるだろう。
 「マネとその時代」自体には問題点も見いだされたが、ハイパー・メディアによる学習メディアが学習者に新しい創造表現機会をもたらす可能性はあるだろう。「絵を描く」、「ものを作る」という表現活動の視野に「学習メディアをプログラムする」ことも含まれてくるかもしれないのである。「オーサー」としての可能性が子どもたちに開かれたときに受容的な鑑賞メディアを超えて、鑑賞を表現するメディアへ、そして表現と鑑賞を相互に誘発するメディアへと変貌するはずである。


註 省略