アメリカイーストバウンド
その2

福本謹一


 ワシントンまでの道のりは長い。ナッシュビルからインターステイト40号線を東へ向かう。インターステイトは東西に走る線が偶数、南北に走る線は奇数表示である。ノックスビルをすぎてから40号線でノーズカロライナに入って85号線を北上するか、ヴァージニアを縦断する81号線をとるか迷った。結局81号線の方が近道になりそうなのでそちらを行くことにした。81号線に入るとなだらかな山道が続く。スモーキー・マウンテン(煙る山並み)と呼ばれるアパラチア山脈の裾野にちがいない。九時を回っていたが、まだ薄暮が西にかかる。ミニューがお腹が空いたというのでレストランを探すことにした。出発前にIHOP(インターナショナル・ハウス・オブ・パンケーキ)というホットケーキのチェーン店でデンマーク風ホットケーキなるオムレツとホットケーキの取り合わせを食べた。確かに軽い食事だったので無理はない。サービスエリアのサインがなかなかでてこないので無意識にスピードが上がっている。ガススタンドのサインは結構あるのだが、レストランがなさそうだ。オレンジ色の球に76という数字のあるガススタンドのサインが目立つ。76というのは何の意味なのだろう。市内では見かけることが少ない。セブンシスターズと呼ばれる石油のメジャー系なのかどうかわからない。「あれって、1976年かなにかかな?」とミニューに聞いてはみたが、「さあ?」とそっけない。しばらくしてミニューが急に「エクソンは日本ではエッソというの知ってる?」とたずねてきた。「え?」とぼくが聞き返すまもなく、「エクソンは世界のどの言語でも同じ発音で呼ばれるようにコンピュータで選ばれた候補名のうちから決定された名前なのよ。それにも関わらず日本ではエッソという名前に変更されたの。日本は活字文化でしょ。象形文字の系譜を考慮すれば、文字の視覚的イメージは重要だし、エッソという響きとEXXONのダブルエックスとNの刺々しさをSSに変えることでソフトなイメージを売ることが優先されたって前に父が言ってたわ。」さすがにイランの石油会社社長の娘だけある。確かによほどの日本通でない限り、車のマツダはマズーダだし、日本光学のニコンはナイコンと発音される。そういう意味ではエクソンは企業戦略としては正当性をもったのである。しかし、その発想に固執することなく文化に適合した柔軟路線を選んだことの方がグローバル企業としての証かもしれない。
 そんなことを考えるうちにようやくレストランのサインが見えてインターステイトを降りた。アパラチアの中なのかどうかよくわからなかった。もう越えたのだろうか。山脈といっても、実感はなかった。そのエリアには小さなダイナー(軽食喫茶)しかなかったので、白いペンキの剥げた看板を横目に中に入った。結構遅い時間なのに客は二人くらいしかいないかわりに店員が三人もいた。その内の一人は高校生のような女の子であった。彼女はこちらの妙な取り合わせが気になるのか、こちらがスタンドでドーナツとコーヒーを頼んでからもあえて視線が交差しないようにしている気配であった。そろそろノー・ドーズ(眠気よけの薬)を飲んでおくことにした。旧式のラジカセからクリスタル・ゲイルの「Don't make it my brown eyes blue」という最新ヒット曲が耳に入ってきたことでカントリーポップスのラジオ局に合わせてあることに気づいた。クリスタル・ゲイルは同じカントリー・シンガー、ロレッタ・リンの妹である。ナッシュビル近辺には彼女の名前にちなんだクリスタルというハンバーガー・チェーンもある。この店のハンバーガーは円形でなくて小振りの四角形のバン(パン)を使うことでマクドナルドやアービーズ、ウェンディーズなどのメジャーとの差別化を図っていた。この近辺はヒルビリーと呼ばれる元祖カントリー・ソングが生まれたところで、ブルー・グラスや後のカントリー・ソングはアパラチアから南部、西部へと広がっていった。ナッシュビルは今でこそミュージック・シティーUSAと銘打ってアメリカのレコード業界でもレコード・プレスのシェアをロサンジェルスと分け合い、なかでもカントリー・ミュージックのレコーディングは70パーセントを超えるほどだが、「カントリー」ももとをたどればこのアパラチアに行き着くのである。
 実はそうしたカントリー・ソングのレコーディングは、小さなレコーディング・スタジオで行われている。NHKスペシャルの「カントリー・ミュージックのふるさと=ナッシュビル」の取材で訪れたプロデューサーの通訳をしたお陰で、マーティン・ロビンスの元キーボードをやっていた小林さんと知り合ってスタジオやらグランド・オウル・オプリーという場所でのテレビ放送やライブの様子をうかがい知ることができた。ヴァンダービルト大学とピーボディー教育大学の間の21丁目にはそうしたスタジオがひしめき合っているが、レコード会社の社名ロゴがなければ普通の住宅にしか見えない。しかし中は完璧な防音壁になっており、ヤマハやボーズのモニター・スピーカー、ミキサーなどが整然と並んでいる。カントリー・ミュージックの現在の姿はこうしたスタジオなどで知ることができるが、町の中にあるウィンド・アンド・ウィロウやブルー・グラス・インといった場末の酒場でジャック・ダニエルの琥珀色の向こう側で揺れるカウボーイハットやバイオリンの弓さばきを見つめていると独特の郷愁が加わる。「ヘイ・ヨーカム」のかけ声は南部の「古きよき時代」の残り香なのだ。
 その小さなカフェにはせいぜい15分もいただろうか。ついでにガソリンを近くのペガサスで入れてインターステイトへ戻った。愛車の黄色いシェビー(シボレー)ベガはフルサイズやミッドサイズを売り物に、富めるアメリカを象徴してきたアメリカ車が、燃費を気にしはじめた経済状況を背景に進出する日本車に対抗せざるを得なくなって作ったコンパクト車の一つである。つい6月に免許を取ってこの中古車を手に入れたばかりであったので長距離を走ることが心配であった。インターステイトを走る車は少なかった。時折、大型のコンテナトラックが静かに走り抜ける。スピルバーグの「激突」のようにいやがらせをするトラック運転手は少ない。どのトラックも50マイル前後で走る。一時期速度制限がなかったが、石油ショック後普通車は55マイル、トラックは50マイルに制限されるようになったそうだ。50マイルといえば80キロほどのことである。取り締まりが厳しいとは聞くが、日本のトラッカーのように緊張感をまき散らしながら走ることはほとんどないのが不思議である。
 湿気を帯びた生温い空気に乾いたエンジン音が絡まる。テネシーからアパラチア山脈を越えるとヴァージニア州に入る。ぼくたちは夜のインターステイトをひたすらワシントンをめざした。午前12時を過ぎると会話も少なくなって、ミニュウがうとうとし始めた。ワシントン空港へは昼の12時に着かなければならなかった。時間が目的になると旅は旅でなくなる。しかし目標が明確であるが故に使命感のようなものも感じ始めるから不思議である。沈黙の中をその使命感がアクセルを押し続けていた。それでもさすがに午前3時を過ぎると睡魔が襲う。休憩を除いても8時間近く運転していた。しかし適当なサービスエリアはすぐにはなかった。4時頃になってかなり広いトラックステーションに隣接するレストエリアが目に入った。かなり駐車の車も多くここなら安心できそうだ。そこのカフェテリアの中はトラックの運転手やら旅行者やらでごった返し、煙草の煙がかすんだ光景を作り出していた。席で仮眠をとっている連中も多い。何も注文せず僕たちも空いていた席で少し休むことにした。眠れば着けないかもしれないという強迫観念は眠りを要求し、いつしか眠りの淵へ誘った。
 不安が目覚ましとなって漠とした意識が戻ってきたが、あちこちで人が朝の動きを見せている。ミニュウは、向かいのシートで横になったままである。腕時計の針は既に6時前を示していたが、夏時間のせいで東の空はまだ赤みを帯びているだけだった。2時間も寝ていたことになる。後6時間しかない。急いでミニュウを起こしてコーヒーとベーグルを「お持ち帰り」で注文して車に急いだ。2時間はロスとして考えれば長すぎたが、安全のためのゲインと考えることにした。何台もの車がまるで滑走路に向かう待機中の旅客機のようにインターステイトの合流地点に並んでいた。まだロアノークを過ぎたあたりだから、先は長い。
 ライトの明かりだけを追ったのと違って、ようやく景色の中をドライヴすることができる。急ぐ心とアクセルが同調していつのまにか80マイルを越えて走っている。ヴェガには負担が大きいことはわかっていてもバックミラーを気にしながらワシントンまでとにかく急いだ。
 アメリカの道路は、インターステイトの路肩は広いし、向かい側車線とは緑地帯をはさんで50メートルほども距離があるためゆったりと走ることができる。この空間的余裕がドライバーの精神衛生に与える影響は大だろう。いきり立ったようなエンジンのサウンドを耳にすることはほとんどなく、アメリカ車の心許なさを差し引いても、リッター30円余りのガソリン代、無料の高速道路、的確な道路交通標示など自動車が総体としてもつシステムから考えれば、日本車にはるかに勝っているのである。日本車はアメリカの自動車市場の20パーセントのシェアをもつにいたっており、日本人は日本車の優秀さに鼻を高くし始めていた。確かに、「マイリッジ(燃費)と故障の少なさで日本車にしているの」というアメリカ人学生の言葉のように、日本車の経済性は高く評価されていたが、「本当はアメリカ車に乗りたいんだけど」という条件が付くことを忘れてはならないだろう。アメリカの道路事情という同じコンテクストで考える限り日本車のコスト・パフォーマンスは高ったが、自動車を交通システムの一部とみなすならば話は違ってくる。日本車を日本の文脈において考えれば、免許取得費用、自動車価格設定、ガソリン代、保険料、高速自動車料金などすべてに「高い」という形容詞がつく。柔らかなサスペンションで波打つように高速を流れるアメリカ車を眺めていると、日本車のつまらなさが見えてくる。
 5時間ほども走ったところでようやくアーリントンの標識が見えた。ワシントン空港までは後20マイルほどである。何とか間に合いそうだ。そのうち国防省、いわゆるペンタゴンが右手に見えてきた。ナッシュビルを発って18時間になろうとしている。約束は果たせそうだ。