『映画の中の子どもと学校と先生と』

試行前通信/No.7
      2000,10,14:記
宮脇→送信

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連載第2回/転載(『アルタミラ通信』)

 大衆民主主義時代のアメリカの憂鬱

 『KIDS』(アメリカ映画・一九九五)
  監督 ラリー・クラーク

               宮脇理

 東西の冷戦にアメリカ合衆国が勝利したのが一九九一年八月であり、『KIDS』(アメリカ映画)はその五年後の一九九五年に創られています。当時を振り返りますと、翌年の二月二一日版のニューズウイーク誌(日本語版)には「アメリカの夢、理想の社会は何処に」が特集として編まれています。そこには「うまくいってるはずなのに誰(だれ)もが不満を持っている。それが私たちの時代のパラドックスだ」と書かれています。

 映画『KIDS』の背後に張り付いているのがアメリカのこの現実です。そしてこの現状に向かって伝説の写真家ラリー・クラーク(LARRY CLARK 1943〜)が初めて創った映画が『KIDS』でした。
 ラリー・クラークがFOCUS(焦点化)したかったのは、まさしく「うまくいっているはずなのに・・」しかし不満と不安が心の中をよぎる。それを解決できないもどかしいアメリカの現在に視線を移したのです。
 あれから数年、いま私たちは西暦二000年の入り口に立ち、まもなく二一世紀に歩を進めようとしています。そしてアメリカの後追いを続ける日本も、アメリカと同様の『KIDS』現象がすでに広く深く拡がりつつあります。まずは『KIDS』に目を向けてみます。

●ストリート・キッズの二四時間
 ラリー・クラーク(以下クラークに略)についての情報は後で述べますが、日本でも『KIDS』に絡んでマイク・ケリーによるロングインタビュー完全収録が、一九九六年八月号の『BT・美術手帳』に載せられていますから(註一)、このことでこの映画が改めて美術のジャーナル誌を触発していることがわかります。まずはざっと「あらすじ」に触れてみますが、ストーリーはそれほど複雑ではありません。

 ニューヨーク市の街角にたむろし、スケボーに興じ、あてもなく公園をうろつき、マリファナ・酒・喧嘩とセックスに明け暮れる毎日の延長が今日もまた続く被写体に、クラークの眼が注がれます。
 先述した『ニューズ・ウィーク』誌が未来像を描いたその一つに「現在の不満が膨張し爆発し、社会は分裂の方向に向かう・・・」「政府は世代間の調節をすることができず・・・乖離は、激化・・・」などと書いてあったことを思い出しますが、『KIDS』にはそれが予見された姿として描かれています。被写体としての彼ら少年、少女の姿には学校教育などは最早、無力なのではないのか?という感じを抱かせるほどに刹那的な場面が続きます。「群・ムレ」として彼らが向うところの関心は「どうやってヴァージンの少女をものにするか」に絞られます。

 映画は、テリーというストリート・キッズの主人公の一人のセックスのシーンから始まるのですが、ひ弱そうな被写体のテリーがまずはHIVであるという設定、しかもそのことを知らない彼、そこから始まる彼とのセックスリンクの展開を知るのは観客だけという、映画・映像にしか出来ないストーリーの展開です。
 観客にしか事の成り行きや顛末が見えないというのは、夢の中の出来事のような不安ともどかしさを観る側に感じさせますが、これは写真のリアリズムというよりは、映画感覚を備えたシナリオによる効果なのでしょう。古風な方法ですが動く映像の特性を活かして見せる場面です。

 子どもたちの行動には屈託がありません。一瞬一瞬の時間が過ぎ去りますが、彼らは自分の境遇を嘆いているわけではないのです。
 カメラはテリーと、テリーの親友キャスパーを挟んでもう一人の主人公の少女ジェニー(クロエ・セヴィニー この映画の中でもっとも俳優らしい女優)にリンクしたことで、彼女はHIV陽性を告知され、そこからテリーを探す彼女の二四時間をカメラは追います。観客は「アメリカの憂鬱」が急速にスクリーンに迫ることを感じ、ついで「この日本でも同じような・・・」という思いに重なります。

 苦さと甘さの入り交じった、ラリー・クラークという写真家が、時として少年、少女と同じ世界に住んでいるのではないか、という想像を随所で浮かばせてくれるのですが、それは彼、クラークの目線が少年、少女の生活に合わせたという程度のものではなく、すっぽりと彼らの生活に浸っているからでしょう。
 彼の暴力シーンの描写には定評がありますが、ここでは少年、少女に覆いかぶさるように甘い夢を抱かせようとする政治の無力さを暴力として捉え、これをメタレベルで観せようとしているのかもしれません。
クラークという写真家が映画感覚を備えているとは思ってもみなかった筆者には、ノンフィクションにしか見えないストーリーのシナリオ作りに、後に『ガンモ』(一九九七)を演出することになるハーモニー・コリンなる人物がいたことを知ります(註二)。パンフレットによれば子どもたちの生活に入りこむためにスケボーの練習をしていたクラークの目の前に、自称シナリオライターと名乗って接近してきたキッズ、それがまだ高校生だったハーモニー・コリン(以下コリンに略)だったというわけです。
 その後に調べた資料によれば、クラークがコリンなる一0代の「自称脚本家」に(コリンは当時一八歳とか一九歳とかの違いが、記されていますが)、シナリオを依頼するなど、そして『KIDS』完成の二年後にコリンによって『ガンモ』が創られるなどの経緯を見ると、いまだにチャンスがいたるところに転がっているのがアメリカだと思うのです。二0歳になったばかりのコリンに『ガンモ』なる商業映画を創らせるとは・・・。

●拡大する暴力とセックス
 ところで『KIDS』についての記事が一九九六年七月三0日の朝日新聞の夕刊に載っていますが、そこでの記述は子どもの生態と暴力についての情報が主な記事になっています。ジャーナルの関心はいつもといって良いほどに暴力とセックスという大衆が迎合しそうな内容に傾くものですが、「朝日」は来日当時53歳のラリー・クラークから(朝日好み)の大衆(自分は大衆の一人とは思っていない人々)に向けて、彼らが喜びそうな記事を引き出しています。
 クラークの発言としての一つに「人生とは予測不可能なものだから、映画には結論はあえて用意しなかった。メッセージ映画を作ったつもりもない。ただ、大人たちは自分たちも火遊びに惹かれる子供(ママ)だったことを思い出して欲しい」と。そして彼の本国のアメリカでは、親子上映会を何度も開いたことに触れています。クラークもまた、彼の一二歳の息子と一緒に自作のこの映画を見る機会を作り、「彼が誤解すると困るので、テリー(主人公)の行動がいかに女の子を傷つけるのかを説明した。女の子の体の仕組みやセックスのこと、ドラックの危険性など、息子が直面するかもしれないいろいろな問題に、話は及んだ。ふだんは、切り出しにくい話題を率直に語り合えて、人生最良の一日だった」と。まさにクラークも人の親であることを示しています。
 また、この映画はアメリカでの公開後に一七歳以下お断りの指定を受け、自主配給を余儀なくされたとのことですが、英国では審査を通すのに半年はかかったとか、、、、。
 クラークは自分の映画と他の暴力映画を比べた発言として、「セックス・ドラック・ロックンロールをちゃかして扱う青春映画の方が悪影響は多い。この問題に、私は正面から向き合った。一二.三歳にもなれば、ここに描かれたことは理解できるはず。子供(ママ)だけで見るのは問題でも、この年代の子を持つ人には、ぜひ親子で見てほしい」この言葉には写真家としての映画作りの姿勢が出ているようにも感じられます(以上は朝日の記事からの抜粋)。
 そして、「やりたい放題の若者を苦々しく思う大人もいるが、ガキはいつの時代にも当たり前のもの。昔より開けっぴろげになっただけ」と語ったところに帰着するのですが、この発言には世間の常識という「壁」の頑なさ、「かつては誰もがそうであったのに・・・いつのまにかそれを忘却している」ことへの最大の皮肉なのでしょうか。だがしかし、暴力の広範な質の変化にはクラークも気づいているはずです。

●拡散し、浸透する複雑な暴力
 さきに彼が「メッセージ映画を作ったつもりはない」と述べたことに触れましたが、それは世間でいう道徳的なメッセージのことではなく、目先の子どもたちの「暴力」なる行為をチェックすることで満足し、その背後にある巨大な暴力についてまで射程を持てない、見えない、見ない「もの忘れのひどいおとなたち」への“警句”だったのかも知れません。
 なぜなら、筆者が四五年程前に観た『暴力教室』(アメリカ映画:BLACKBOARD JUNGLE・1955 )が上映された時も「暴力」なる題名に絡んで上映禁止運動が起きたこと、それが日本の新聞を賑わしたのを思い出したからです。その映画の監督は、当時、脂の乗りきっていたリチャード・ブックスでした(註三)。ニューヨークの(工業)高校に赴任してきた熱血先生(グレン・フォード)が、ストリートギャングもどきの暴力が教室を支配する現実に対して、あたかも(金八先生)のような熱演で学園を再生するというのがストーリーでした。フォードを助けて教室再建へ向かう生徒の一人が若き日のシドニー・ポワチエだったという、そんな時代でした。
 その時の世間に盛り上がった暴力映画上映禁止運動の(暴力)への眼差しには、今回と同様、暴力とは何か、奈辺に暴力の原因があるのかにまで眼を移したものでは無かったのです。
 ちょうどその頃(一九五六:昭和三一)、日本では、羽仁進さんの『絵を描く子どもたち』が劇場上映され、創造すること、表現することとは何か、果たしてそれは「情緒」「情操」に直行する図式上にあるのか、あるいは創造(性)とは暴力と背中合わせにある営みであり、その暴力を生きるための活力に転じさせるにはどうすれば良いのかに意見が二分されたことがありましたが、ほとんどの意見が前者であり、後者が少数派であったことを思い出します。前述の『暴力教室』の展開などはさしずめ後者の展開とその結果だったと思うのですが。
 しかし半世紀後の現在、子どもの背後に迫る暴力は一人の熱血教員の気概と力で解決出来るほどの単純な「暴力」ではないのです。クラークが「映画にはあえて結論を用意しなかった・・・」「メッセージ映画を作ったつもりもない」には、現在の「暴力」そのものの根が子どもたちの表現に内在する「暴力」つまり通過儀礼として起こる「暴力」ではないと断じたことからの発言であり、それに気付かない世間(の親たち)に対して眼を開くことを促したのだと思います。でなければ「親子上映会を何度も開いた」という世間への警告にはならない筈です(註四)。「暴力」をめぐる解釈は半世紀前とは格段の複雑さを増しています。この辺でわずかですが暴力(論)について触れます。

「暴力論」について知られているのは、フランスの社会哲学者、サンディカリズムの理論的指導者でしょう。経歴は省きますが、ソレルのもっとも社会に対して影響力の大きい著作はほぼ百年前の「暴力論」(一九〇八)です。ここでソレルは、マルクスとプルードン、ベルグソンらの思想をふまえながら、ブルジョワジーの政治支配と議会制民主主義を批判し、プロレタリアートの直接行動を訴えています。そしブルジョワジーの暴力(権力)に対抗するにはプロレタリアートの暴力が必要であり、そのもっとも有効な方法がゼネスト(ストライキ)であるとしていますが、すでにお解りのように現在の「暴力」の実態は、上述のように国民国家が単純に競合する時代の「暴力論」を時間切れとし、複雑な「暴力」に眼を向けなければ「暴力論」を語ることが困難になっています。

●ラリー・クラークと「拡大された家族」
 クラークについての筆者の知識は、彼のデビュー作として知られる、オクラホマ州タルサで撮った『タルサ』(Tulse,1971)程度です。確かに彼の作品はアンモラルでアナーキーな衝撃的なセックス・ドラッグ・ヴァイオレンスなどに満ちていたのですが、不思議とバゾリーニ映画の端正な品格に通じていることに気付きます。

 さて「ドラッグとセックスとリズム&ブルース」の青春を送り、不良グループの一員だった彼の写真をナン・ゴールディンがいう「拡大された家族」の線上にあると指摘したのは、美術評論家の市原研太郎ですが(註五)
、確かにカメラが対象を写すという観客者の立場を逆転させ「撮影者を撮られる側にまわすことでこの境界を消し去り、撮影者と被写体とを同一の世界に巻き込むことを可能にする」といった関係が浮かび上がっています。とはいっても、彼自身が被写体に収まって写るという場面が無いのは、市原がいうように「被写体となる人物はやはり他者だが、ジム・ゴールドバーグとは異なり、この他者は前もって揺るぎない、あるいは一時的で不安定な信頼関係を結んだ愛人や友人や仲間である」(註六)との指摘が、彼の写真を読み解く重要な鍵になると思います。
 『タルサ』の後に発表した『ティーンエイジ・ラスト』(Teenage Lust,1983)の巻末の自叙伝にも、このことに触れた彼の心境か語られていますが、彼が被写体に向けた視線には冷徹さと同時に矛盾するようにも見える「拡大された家族」に象徴される「絆」願望を感じるのは何故でしょうか。理由は彼の思春期形成の歴史の一齣に、あたかもフランシス・コッポラ(Francis Ford Coppola)の『ランブル・フィッシュ』(一九八三 アメリカ映画)に登場する、兄の(力・チカラ)に憧れる弟のような心情があることを、視点をずらすことによって読みとることができます。

 建前として個(人)の尊重が謳われつつも、他面において個人が疎外されるという構図は
、トマス・ホッブス(Thomas Hobbes 1588-1679)の国家論に見られるように、まさに国家と個の関係を彷彿させるのですが、国家が個を守るための理念が一転して個を束縛するというこのパラドックスは、個人の権利意識が浮上すればするほど両者の矛盾は一気に噴き出します。「キズナ願望」は、個に対する国家の庇護が無力だと感じたときからの小さな連携の誕生なのでしょう。
『KIDS』に登場する子どもたちの表情に悲惨さが少しも無いのは、仲間との「絆」が彼らの生きる拠り所になっているのでしょうか。それは五0代のクラークの心に輝いていた少年時代への、あの苦くも甘い追想の投影なのかもしれません。そのことは、彼の二作目の作品『アナザー・デイ・イン・パラダイス』(一九九八 アメリカ映画)(註七)に見られる「絆」願望が何よりの証左のように思えます。
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INTERMISSION 休憩:5分
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INTERMISSION→→→:再開
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●ニュー・ミレニアムの論点
  二000年一月二一日の『ニューズウイーク』日本語版
 先述した「アメリカの夢、理想の社会はどこ、、、」に集約された一九九六年二月二一日の『ニューズウイーク』日本語版から、ほぼ五年後の二000年一月二一日の同誌コンテンツの惹句には、「資本主義と民主主義の二つの思想を先進国が巧みに捌かないと、その破壊力が世界の安定を脅かしかねない」とあります。
 これまで述べたラリー・クラークの描いた『KIDS』には、東西の冷戦に勝利したアメリカの5年後の子どもたちの姿が直裁的に描かれていたというわけです。そしてそれから5年後、いまやアメリカの「内と外」との双方への期待と問いは、今回の『ニューズウィーク」誌のコンテンツに掲げられていますが、それは『KIDS』以降の線上に見え隠れする難問です。

 自己調節機能を全く持たないのが資本主義の裸の姿であることは、すでにG・ドゥルーズ(Gilles Deleuze)∧1925-1995∨やF・ガタリ(Felix Guattari)∧1930-1992∨によって指摘された通りですが、個人の自由と権利を守ることを至上の命題とする民主主義と、それとは真っ向うから対立する筈の資本主義が果たして連動可能なのか。それは本当にできることなのか。『KIDS』に顕れた現在こそがアメリカの未来を予見しているのだと思います。
 クラークの描いた『KIDS』には対象を冷徹に突き放すだけでなく、世間が嫌悪するストリート・キッズの心中を占める、親しいところからの人と人との「絆」を普遍的に描こうとしたのだと思いますがどうでしょうか。ただそこでの「絆」は自分だけの「防衛」のために、弱者を絡め取ったり、支配し、束縛するなどの利己的な「絆」ではないことは確かなようです。

 さて、クラークという壮年写真家へ眼を向けたのは、他ならぬ、あの『ドラッグストア・カウボーイ』(一九八九)や『マイ・プライベイト・アイダホ』(一九九一)の作者、ガス・バンサント(Gus Van Sant 一九五二〜)でし
た。『KIDS』の製作総指揮者としての彼は、長年の間、若者の多くを撮り続けてきたラリー・クラークを演出に据え、2年後に『ガンモ』(GUMMO・1997)の演出家となる、当時まだティーンエイジャーのハーモニー・コリン(Harmony Korine,1974〜)にシナリオを任せたのです。 
 ハーモニー・コリンによる『KIDS』のシナリオは、次世紀への架橋的サービスをしたと思えるほどに抑制の利いたものですが、彼自身のシナリオを元に演出した『ガンモ』では、先述した『ニューズウィーク』の「未来を読む」などの論調を放棄したくなるほどのアメリカの現在を描いています。その映像はアメリカの「憂鬱」からさらに「困惑」へつながる未来に満ちています。

『KIDS』は、ある意味では社会学的な分析と問題の所在の追求、そして今後への難問を世間に拡げたことになりますが、アメリカの「憂鬱」と「困惑」を振り払うほどの気概に満ちた映画の出現を期待することは無理なのでしょうか?。ただ劇場未公開ですが、一月初旬にWOWOWから放映された『ワイルド・メン』( グッド・オールド・ボーイズ 一九九四 )には、アメリカの原初的活力へのオマージュがトミー・リー・ジョーンズによって、地味ですがアメリカ人の士気を鼓舞しているようにも見えます(註八)。
 しかし「法」をも個人が換え得ることが可能な現代的民主主義に対して、「法」を守り抜くことを核とする、かつての古典的民主主義の時代こそがアメリカの隆盛への道であったと謳うことで、現在を乗り切らねばならないアメリカの切なさも同時に感じます。同時に、一九七四年生まれという若さで、『ガンモ』を創りあげたハーモニー・コリンの質の高さに、アメリカという国の広さと懐の深さを感ぜざるを得ないのです。
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(註一)美術出版社刊『BT 美術手帳』1996年8月号では特集「ラリー・クラーク」を編んでいます。特集の各題目を挙げますと、「ラリー・ザ・イノセント・クラーク」(市原研太郎),「動く写真,止まった映像」(西嶋憲生),「映画『KIDS』リポート」(インタビュー),「永遠の少年期」(ラリー・クラーク×マイク・ケリ−),「闇夜のユーフォリア」(ラリー・クラークとドキュメンタリー・フォトグラフ:生井英考)などが。
※LARRY CLARK/一九四三年、オクラホマ州タルサ生まれ,現在ニューヨーク在住,一九七一年、写真集『TULSA』を発表。一九八三年に写真集『TEENAGE LUST』,一九九二年に『1992』、さらに一九九三年に『The Perfect Childhood』を出版。ついで一九九五年に映画『KIDS』で初監督。
※ 一九九六年七月二一日から八月一七日までタカ・イシイギャラリーにてラリー・クラーク展が開催。彼は五月一九日に来日。

※東京・渋谷「シネ・アミューズ」他にて公開。配給:松竹富士

(註二)一九七四年カリフォルニア州,ボリナス生まれ。ティーンエイジラストの時  にワシントン・スクエアー・ガーデンでラリー・クラークと会い、シナリオを三  週間で完成。(編集:発行「松竹株式会社事業部」一九九六年七月一三日)

(註三)リチャード・ブルックスの作品には『カラマゾフの兄弟』(一九五七)『熱い  トタン屋根の猫』(一九五八),『冷血』(一九六七)など。
  Richard Brooks/アメリカペンシルヴェニア州フィラデルフィア一九一二年生ま  れ。

(註四)朝日新聞:一九九六年七月三〇日夕刊

(註五)市原研太郎「ラリー・ザ・イノセント・クラーク」
(『BT美術手帳』一九九六、pp.四四〜四五。参照)

(註六)同上 pp.四四〜四九。参照

(註七)『アナザー・デイ・イン・パラダイス』パンフレットより:発行松竹株式会  社事業部,一九九九年七月三一日

(註八)トミー・リー・ジョーンズ(一九四六〜)は、『逃亡者』(一九九三)の主役を  演じた俳優。『ワイルド・メン』では、脚本、主演を兼ねての初監督。(グッド  ・オールド・ボーイズ)の「自由への憧れと気骨」を兄弟、妻、恋人、子ども、友  人へ投影することで、アメリカの底力を見せます。

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