ミュージアムの成立(その1)

国立民族学博物館 吉田憲司

1「珍品陳列室」あるいは「驚異の部屋」

「珍品陳列室」=「驚異の部屋」の成立
 ミュージアムの語源になったといわれるムセイオンは、古代ギリシアにおける教育や研究機関の名称であった。詩や音楽など、学芸を司る9人の女神(ミューズ)の恩寵をうける場所としてその名がつけられたという。したがって、それは、かならずしも収集や展示の装置というわけではなかった。また、収集と展示という点でいえば、古くから教会における聖遺物や献納品のコレクションが存在する。しかし、現在の博物館の祖型としては、やはり、16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパの王侯貴族が、自ら邸宅内に競って設けた「珍品陳列室(cabinets of curiosities)」をあげなければならない。同種の部屋は、イタリアでは「ステュディオーロ」、ドイツ語圏では「驚異の部屋(Wunderkammer)」、「美術陳列室(Kunstkammer)」などともよばれた。
 「珍品陳列室」あるいは「驚異の部屋」は、その名の通り、世界に存在する珍奇なもの、人の驚きを誘うものを一堂のもとに寄せ集めた空間である。そのなかに、大航海時代を通じて非ヨーロッパ世界からもたらされた器物も少なからず含まれていた。そうしたコレクションの多くが、後にヨーロッパ各地で成立する民族学博物館に受け継がれていくことになる。
「珍品陳列室」のもっとも早い例は、15世紀はじめ、フランスの国王シャルル五世の弟にあたるペリー公ジャンが築いたコレクションに求められる。1413年から1416年のあいだに御用係ロビネ・デゼスタンプによってまとめられた目録によれば、そのコレクションは人工物と自然物に大きく区分されたうえ、さらにその用途と素材に応じておおまかな分類の施されていたことがうかがえる。金銀細工や、水晶、真珠、珊瑚でできた宝飾品のほか、貨幣、羅針盤、四分儀、時計などの機械類、絵画、古典古代の工芸品といった人工物と、蛇の皮、糞石、珊瑚、貝穀、鉱物、ダチョウの卵、動物の歯、そして「一角獣の角」などの自然物が含まれていた。異国の産物については、大航海時代の幕開け前夜にあたる時期であるだけに、めぼしいものは確認できな
い。わずかに磁器の茶碗、鉢、瓶が挙げられているが、それがどこの産物であるのかも不明である。
 15世紀も深まるにつれて、とりわけポルトガルやイタリアの貴族たちが、互いに競い合うように「珍品陳列室」を築き上げていく。古典古代への回帰を標接するルネサンス期の人文主義が、古代遺物への関心をたかめたのが一因であるが、その時期が、大航海時代の進展と重なっているのはけっして偶然ではない。1415年にはじまるポルトガルのエンリケ航海王子による大規模な地理上の探索は、ヨーロッパの認識する世界の範囲を飛躍的に拡大させた。1494年のコロンブスによる「新大陸発見」へといたる一連のプロセスで「発見」された世界を映すものとして、「珍品陳列室」はその内容と規模を急速に充実させていったのである。
 ルネサンス期における美術の保護・振興で知られるフィレンツェのメディチ家の場合も、そのコレクションのなかには、絵画や彫刻、宝飾品だけでなく、時計やダチョウの卵、「一角獣の角」といった珍品が含まれ、さらに異国の産物も年を追うごとにその数を増していった。とくに、トスカナの大公となったコジモ汾「のコレクションは、アフリカからもたらされた、記録のうえでの現存する最古の遺品を蔵していたことで知られ
る。1553年の資財目録にみえる三本の「象牙の笛」(現在では一般にオリファントと呼ばれる)がそれであるが、そのうちの1本(現在はフィレンツェの人類学民族学博物館蔵)は部分的に皮で巻かれ、その皮にメディチ家の紋章とトレド家の紋章が施されている。コジモ汾「とトレドとの関係といえば、コジモ一世の妻、エレオノーラが、スペインの富豪でナポリ副王であったドン・ベドロ・デ・トレドの娘にあたる。二人は1532年に結婚しているが、オリファントの紋章はその結婚を記念して施されたものと思われる。オリファントそのものは、その細密な表面の彫刻の様式からみて、コンゴ王国の産物と思われる。1482年のポルトガル人によるコンゴ上陸以降、コンゴの王アフォンソ汾「は自らキリスト教に改宗する一方、数度にわたって教皇に使者を送っている。おそらくは、メディチ家出身の教皇レオィ世(在位1513-21年)ないしクレメンス七世(在位1523-34年)に贈られたものが、メディチ家のコレクションに入つたものと推定される。

(吉田憲司、「文化の『発見』」、岩波書店、1999 より )


吉田憲司(よしだけんじ)
 国立民族学博物館助教授。総合研究大学院大学助教授(併任)。文化人額学・博物館人類学専攻。1955年京都市生まれ。京都大学文学部卒業、大阪大学大学院博士課程修了。学術博士(1989年)。大阪大学文学部助手、国立民族学博物館助手を経て、1993年より現職。
 1978年以来、主としてアフリカ、ヨーロッパ、日本でフィールドワークに従事。1990年から91年まで、大英博物館民族誌部門(人類博物館)客員研究員。主な著書に『赤道アフリカの仮面』(共著、国立民族学博物館)、『文化の「発見」』(岩波書店)、『異文化へのまなざし』(共編、NHKサービスセンタ-)などがある。