|
「.結び
以上のように『信貴山縁起絵巻』の三巻を繰り広げながら、そこに展開されている場面から聞こえる音の世界を示してきた。絵巻という形式自体が極めて日本人的な感性を反映したものである。今井清はこの点について次のように述べている。
「他の諸芸術と同じように、絵巻形式も中国から学びとられたことはいうまでもない。しかし絵巻が日本美術史上で占める地位の重要さと、日本独自の形式を確立していったことをあわせ考えるとき、そこにはどうしても日本的感性が絵巻物形式に最も緊密に結合しやすいという根本的な事実をみのがすことができまい。詞と絵とが並列的に交互にあらわれる。いわゆる段落形式にせよ、絵画部分が横に伸びて連続構図的に展開する、いわゆる連続形式にせよ、物語性と絵画性とが一つの綜合芸術として統一的に形式される芸術ジャンルの発見は、まことに日本的心性にかなうものであった」[今井:1992:230]。
この「物語性と絵画性とが一つの綜合芸術として統一的に形式される」絵巻は、日本的感性の所産であるとすれば、絵画から導き出される音の世界も同時に綜合芸術に与するものであるだろう。感覚的多様の在り方それ自体が、絵巻という形式の中に内在されているとすれば、従来の美術史的視点からのみではなく、聴覚的を始めとする他の感覚全てを働かせて対峙しうるものと考えられるのではないだろうか。「日本人が多様を決して統一(つまり知的構築的統一)せずに、多様を多様のままに併存させる心性、いわばポリクロミックな心性」と今井が指摘しているように[ibid.:233]、空間と時間が多様な自由性に遊ぶときに絵巻は、観者と観られるものという観照の構図を離れて、五感の中に浸透してくるのである。
かつてシェーファーが産業革命を契機として近代世界が進展していったときに音の世界が「ハイファイ」から「ローファイ」へと変化していったと語ったが、観ることのみを現実とする世界観は、ある意味では「ローファイ」化した多様性を括弧に入れることによってそのアポリアを回避していこうとするものであるのかもしれない。ここで耳を傾けてきた絵巻の音の風景は、まさに「ハイファイ」な世界を伝えている。限定された画面に切り取られた世界は、絵巻においては常に背後にその広がりを予想させている。その意味では高畑の次の見解は極めて示唆的であろう。
「西欧では、中世以来、絵画はまず世界観を表現するためのものであり、『画面』を自己 完結した象徴的世界乃至小宇宙として『構成』しようとした。『画面枠』は、ただ現実を切り取った一断片などではなく、主題や観念を構成するための特別の枠組みだった。描かれたモノやヒトは、物や人それ自体であると同時に図像学的な隠喩であり、身ぶりもまた象徴性を与えられている。そしてそれらの背後に描かれる背景は、人物を際立たせる『舞台』であり、いわゆる『世界風景』だった。西欧では、いわば、世界を『画面』に閉じ込めたのである」[高畑:ibid.:51]。
世界を閉じ込めようとする感覚は、絵巻の作者にはありえないことであったであろう。特に『源氏物語絵巻』の静謐な情趣的世界の香りは、音の世界までも包み込んでしまう。そのあまりの感覚の豊饒は一種の疲労さえ伴う。一方、『伴大納言絵巻』の切迫感をもった緊張した画面の展開は、喧騒と静寂との対比の中で出来事の推移をダイナミックに語る。それは講談にも似たリズミカルな口調である。それらとは異なり『信貴山縁起絵巻』は、豊麗な色彩を持たず、奇蹟談ではありながら緊迫感は和らいでいる。それは、この絵巻が鳥瞰的な風景の視点と人々の声色を見事にバランスよく伝えているからではないだろうか。「剣の護法」童子の場面の遡及的場面展開においても、不思議な音色を漂わせながらも、その音の源が信貴山であることによって、独特の姿態をもつ童子と素早い航跡を示す雲さえもが仏道の声に還元されていくように思われるのである。
絵巻は、先に述べたようにわが国独特の感性によって生み出された藝術ジャンルである。その感性は、常に五感をもって自然と親和してきた日本人の根源にあったものである。時間的に展開する絵巻は、それ自体聴覚的性質をもっているとも言えるだろう。その意味で、そこに音を聴くことは、まさに相互主体的な場を自ら創造的に作り出す行為であると考えられるのである。
引用・参考文献
Barthes,Roland:1984:『第三の意味――映像と演劇と音楽と――』(沢崎浩平訳),みすず書房, 東京。
千野香織・西和夫:1997:『フィクションとしての絵画』,ぺりかん社,東京。
堀切実:1998:『芭蕉の音風景』,ぺりかん社,東京。
今井清:1992:『今井清 美学論集』,やしま書房,東京。
小松茂美:1977:『日本絵巻大成4 信貴山縁起』,中央公論社,東京。
源豊宗:1976:『日本美術の流れ』,思索社,東京。
村重寧:1991:『日本の美術 第298号 絵巻=信貴山縁起絵巻と粉河寺縁起絵巻』,至文堂,東京。 Schafer,R.Murray:1986:『世界の調律』(鳥越けい子ほか訳),平凡社,東京。
高畑勲:1999:『十二世紀のアニメーション −国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの−』,徳間書店,東京。
谷村晃・鳥越けい子編:1997:『現代のエスプリ サウンドスケープ』,至文堂,東京。
|
|