長尾義人 兵庫教育大学学校教育学部助教授。
関西学院大学院博士課程文学研究科美学専攻修了、専門は音楽学(音楽美学・音楽史学)「ルネサンス、バロック時代の音楽史的意味」「音環境論」。著書に『音が織りなすパフォーマンスの世界』昭和堂、『音は生きている〈芸術フォーラム6〉』頚草書房、「魔術的バラ十字思想と〈孤独な瞑想〉の音楽」などがある。

引用コード 長尾義人「絵巻物の音風景をめぐって−『信貴山縁起絵巻』を中心に−『芸術と教育』第5号、兵庫教育大学芸術系教育講座、2001、pp37-56 より転載。

絵巻物の音風景をめぐって
−『信貴山縁起絵巻』を中心に−その3

長尾義人

。.『信貴山縁起絵巻』の音の風景
 この絵巻の成立は、先の『源氏物語絵巻』や『伴大納言絵巻』と同様に、12世紀であるとされている。ここでテーマとなっているのは、信貴山朝護孫子寺の高僧「命蓮」(十世紀初頭に実在)の奇蹟談である。大和と河内の国境にある信貴山は、大和平野を一望できる景勝地として知られている。その山頂にあるのが朝護孫子寺である。この寺は、寺伝によれば、聖徳太子(574-622)の時代に毘沙門天を本尊に開基されたと書かれている。本来「寺社縁起」に関わる絵巻では、寺社の開基に関わるものが多いが、この『信貴山縁起』は、本尊毘沙門天に纏わるものではなく、高僧命蓮を中心としたものであるという点で、厳密な「縁起」としての内容を持つものではない。また、作者に関しても鳥羽僧正覚猷とされているがこれも明らかではない。しかし、この絵巻が現在においても美術史的な関心を喚起していることを考えると、多くの絵巻の中でも重要な美術史的意義を持っているといえるのである。ここでは、それに関して詳細には触れないが、若干その内容に触れなければならないであろう。それは特に中心的な役割を果たしている命蓮に関わるものであるが、文献的にはわずかに二つのものが存在するにすぎない。その一つは、承平七年(937)六月十七日付けの命蓮の自署のある『信貴山寺資財宝物帳』である。そこには彼幼年の頃 (『資財帳』では豆と麦と区別のつかない幼年期と記されている)の寛平年中(889-898)に信貴山へ登ったと書かれている。すでにその時には、簡素ながら本尊毘沙門天一躯を安置した方丈があった。その後12年を限ってここで修行するが、結果的には齢60余りで没するまで、終生この地で過ごすことになったのである。その間に,円堂一宇のみの寺を拡張して、寺院としての様相を持つことになったのである。
 もう一つの彼に関する文献は、11世紀後半に編纂された『扶桑略記』第二十四の裏書である。その延長八年(930)八月十九日の項に次のような記述がある。
 依修験之聞、召河内国信貴山寺住沙弥命蓮、令候左兵衛陣、為加持候御前
 これは彼が、醍醐天皇の病平癒のために命蓮が信貴山から宮中へ召還され、加持を執り行ったことを伝えている。このように彼の高僧としての名声は、宮中にまで及んでいたことを伺わせる記録であろう。
 一方、このような高僧は伝説を生む。特に彼の奇蹟談は、『宇治拾遺物語』の「一〇一 信濃国聖事」と『梅沢本 古本説話集』の「第六十五 信濃国聖事」に見られる「飛鉢」と「剣の護法(剣鎧童子)」に関わっている。それは、この絵巻を読み解く場合に重要な示唆を与えている。では、名声を馳せた高僧命蓮は、この絵巻においてどのように表されているのであろうか。
 周知のように『信貴山縁起絵巻』は、三巻からなっている。第一巻は「山崎長者巻(飛倉巻)」、第二巻は「延喜加持巻」、第三巻は「尼公巻」と名付けられている。『伴大納言絵巻』と同様にこの絵巻の第一巻には詞書が欠けている。前者が歴史的事件として巷間に知られており、詞書の必要を求めなかったとすれば、この絵巻においても詞書がないということは、後に欠損した可能性は否めないものの,同じく庶民の間で広く伝えられたことを考えると絵のみで十分理解可能であったと考えられよう。それゆえに物語りは突然の出来事として、極めて印象的な場面から始まる。高畑勲は、この導入の持つ衝撃的な場面を次のように述べている。
 「一気に観客をドラマの中へとひき込むこの冒頭シーンは、その語り口のあまりに映画的なことに加え、いわゆるマンガ・アニメ的表現に満ちあふれている…」[高畑1999:22]。
 一種恐怖にも似た驚愕を人々の表情に誇張的とも思われる闊達な筆法で、長者の家中のものが描かれている。突然倉が動き、鉢が飛び出してくるという不思議な状況に接して、まさにパニックに陥った人々の姿態がリアルな映像として観者の眼を捉えて離さない。ここでは、驚嘆と恐怖の声が充満しており、不思議な力で鉢が錠前を壊し、扉を勢いよく開ける音や動き出す倉の屋根から落ち、砕ける瓦の音さえもこの場面の音にリアルさを与えている。鉢の上に乗り浮遊する倉は、次の場面で一団の人々がそれを追いかける視線の先に現れる。期待と予感は、息を呑むような迫力で巻物を繰り広げさせる。ここで注目されるのは、倉が飛んでいるということを伝えるための見事な描写である。校倉造りで瓦の屋根をもった倉が飛ぶ予兆は、最初の場面で若干傾いた倉の描写において現れ、いったんそれを追いかける一群の人々の上空への視線が完全に倉が浮遊していることを期待させる。そして、水面上空に浮遊する倉が現れてくる。西和夫は、建築史の立場からこの「倉が飛んでいる」と感じさせる絵師の技量に注目している。「なぜ空中を飛んでいるようにみえるのだろう。」という西の素朴な疑問は、「物語を知っているからだ」という簡潔な解決を由としない。物語を知らなくても飛んでいるように見えることの問題を指摘しているのである[千野・西:1997:40-45]。最初に浮遊している場面をみると、倉を支える束が描かれていない。束を付けたまま倉が浮遊している場面を描くことは、鉢の位置の選定に窮する。また、その部分だけをみれば、水面に浮いていると見られる可能性がある。ここで注目すべきは、まさにその下で誇張された形態で描かれた上を見上げる三人の人物である。さらにその左には、風を切って空中を飛ぶ倉が引き起こす旋風に衣服が煽られている人物が配されている。視線の上方集中と突然の旋風が地上を襲うという、この二つの情景、そしてその左方に木を配して、空間的に上方にあることを感覚的示そうとしているのである。この場面までの出来事は、まさに人々の喧騒と倉の浮遊に伴う不思議な音を想像する時、超自然的な空間と時間がリアルに観者に受け入れられるのである。
 続く場面は、倉の後を追って長者一行が山中を旅している情景である。ここでは、上方に鉢があり、その上に倉の下方部分が描かれている。それは長者の視線の先に捉えられている。山道が下に配され、その空間に山,川、草木が描かれることで、浮遊の状況を確認させている。ここでは、怪異な出来事と自然の風景という対比が印象的である。不安を湛えながら馬に乗る長者の表現や最後尾の従者が草鞋を締め直すために屈む姿に明確に遠くまで旅をしてきた状況が伝えられるのである。また、倉が飛び去る場面からの時間経過をこの場面ではっきりと観者に知らせているのである。上空を飛び行く倉が発する音と旅をする長者の馬の蹄の音や自然の中に聴かれる音が不思議なポリフォニー的な音の世界を予想させる。倉の左下に遠く山が配され、倉の行方の遠いことを感じさせ、観者は彼らがどこまで追って行くのかという興味を掻き立てられる。 
 漸く彼らは信貴山上の命蓮のもとに辿り着く。その時間経過は遠景の山々や霞によって伝えられる。また、僧房の命蓮の右に鉢があり、不思議なことに長者一行は左から右へと僧房に入っている。絵巻の繰り広げ方から考えると当然長者一行は右から左へと僧房に近づくのであるが、ここでは何故逆の構図になっているのだろうか。おそらく、命蓮のもとに鉢が帰還したことをまず明確にし、そこに長者一行が訪れるという時間経過を明確にするためであろう。この場面の背景をなす山々や草木は、前の場面とは異なり大きく描かれ、信貴山の険しい状況が感じ取られる。穏やかな表情で長者の直訴を聞く場面では、それを見守る従者たちの二人の表情は、長者の話に加勢するように口を大きく開いている。山中を訪ねる人もおそらくないであろう僧房にある命蓮の囁くような話し振りと極めて対照的である。静かな自然の風景を湛えながらその左には霞の中に倉の屋根を描くことで、鉢がそれを運んできたことを暗黙のうちに知らせている。そして時間経過を暗示するような深山の風景があり、次の場面へと移っていく。
 長者の申し入れを聞き届け米俵が返還されることになるのであるが、従者が命蓮の指示によって鉢の上に米俵を一俵を置いている。その次の瞬間に一俵の米俵を乗せた鉢が空中に飛び上がり、他の米俵が倉から出て、それに続いて飛び立っていく。一種の異時同図てき手法がここに見られるが、倉から出てくる俵が、方向を変え鉢に付き従って行く場面処理は見事な発想である。ここでも浮遊の実感は、飛び去る俵に驚愕する従者の表情、山々の上を飛んでいく時に,下で鹿が見上げていることによって得られるのである。また、空中を行く俵の列は、遠くにいくほど小さく描かれ、遠近法的な視点を導入していることは注目されてよいであろう。
 この巻の結末は、冒頭の長者の家を再び登場させ、日常に返った様を印象付ける。特に、少女に手習いを教えている部分は、落ち着いた状況を伝えてくれている。しかし、事態は急変する。間髪を入れず描かれる驚き騒ぐ女性たちが現れる。そして巻物を繰るとそこには鉢に導かれた米俵が次々と音を立てて舞い降りているのである。
 一連の見事な物語の展開は、まるで謎解きのような絵の配置で、観者の好奇を休ませることはない。そして、そこには不思議な出来事が生み出す音の世界と、現世的な庶民の素朴な感情より発せられる声、そして深山の自然の音や水のざわめきなど豊かな音の風景を生み出している。
 一方,第二巻「加持祈祷巻」は、第一巻とは趣を異にする。ここでは、第一巻の出来事に言及に続いて、この巻の内容を説明した詞書が先ず置かれている。醍醐天皇御病平癒のために命蓮に加持祈祷を願うために勅使が待賢門にさしかかるところから絵が始まる。待賢門を挟んで出て行こうとする勅使一行とこれから祈祷に向かう僧侶の一行が描かれているが、画面上方の門の下では、参内した主人を待つ従者が談笑している。静かな足音と囁くような話し声がここにおいて聞かれる。その左端に牛車の車があり、そこでも牛飼いたちが暇をもてあましたように首筋や腕を掻いている姿が見える。そしてその直後に勅使が馬に乗るところとその上方に馬に乗って進む勅使が同時に描かれている。その左下では巷の人々が馬上の勅使を指差し噂話をしている。そして、場面は第一巻と同様に深山を進む勅使一行が連続して描かれるが、山々にさえぎられ最後にはかすかに山影に被り物だけが見え、時間的な推移を簡潔に印象付けている。そして、これも第一巻と同様に命蓮の僧房が現れ、左から右へと勅使一行が命蓮に話し掛けている。しかし従者の座している配置からして、この僧房へは右から回り込んで左側から入ってきたことが分かるのである。ここでは勅使は、命蓮に宮中での加持祈祷を請願するのであるが、彼は僧房にあって天皇平癒を祈祷することを約するのである。深山が霞に溶解するようにして次の場面へと繋いでいく。そこは既に宮中清涼殿であり、勅使が事の次第を報告する場面である。次に詞書が置かれ、命蓮の祈祷により「剣の護法」が送られ、天皇が平癒することを伝えている。この詞書の後、霞の中から再び清涼殿が現れ、宿直の公卿の裾が左に流れ、その方向に棚引く雲の上に輪宝を踏みしめて立つ「剣の護法」童子が現れる。ここでもまず現在の出来事が示され、その後にその経緯が絵によって示される。この童子の棚引く雲の筋を追って行くと、輪宝を転がしながら疾駆する童子が描かれ、その航跡の先には信貴山が描かれており、童子が命蓮の祈祷によって使わされたことが分かるのである。童子の航跡の下には大和の田園風景が広がり、二人の女性が長閑に菜摘みをしている様子や、雁が列をなして飛んでいる風景が描かれている。この一連の場面は、特異な時間感覚を覚えるが、この遡及的手法によって超現実的な出来事がよりいっそう観者にってくるのである。
 「剣の護法」童子によって病平癒した天皇のお礼に向かう場面が次に続く。騎乗した勅使とその従者たちは、再び山中を旅することになる。山々は紅葉した木々に彩られ、それを楽しみながらの行程であることが従者たちの表情から伺われる。そして命蓮の僧房にいたり、ここでは位置を代えて、命蓮を左に,勅使を右に描くことで身分的な上下を明確にしている。この場面の後には深山の情景が置かれ、この巻を閉じている。
 ここには第一巻のような喧騒的の音の世界は聴かれない。「剣の護法」童子がどのような音を響かせながら宮中に向かったのかは興味あるところである。全体に物音は静穏の中に吸収され、山中にこだまする自然の音が長閑に響いているように思われる。ここでの声は、あくまで密やかである。
 次に第三巻であるが、この「尼公巻」は前二巻とは性格的に異なったものとなっている。命蓮の奇蹟談は背景に伺われるが、むしろ人間的な情愛の性格が画面に色濃く現れている。最初に詞書があり、そこには、長年消息を絶っていた弟命蓮を訪ねて,はるばる信濃国から姉の尼公が奈良へ向かい、東大寺の大仏に祈願することによって遂に弟と再会できる、ということが記されている。
 詞書に続いて険しい山間を旅する尼公と従者が現れる。馬上の尼公はいかにも年老いた表情で描かれている。彼ら一行の道の右には深い渓谷が続き、急流の響きが木霊している。観者は、突然の尼公一行に出会うのであるが、曲がりくねる山道を歩んできたことを知らせるために最後尾の従者が曲がり角に配され、一行の行程を予想させるように工夫されている。彼らの足音は、激しい水の音に掻き消されているかのようである。左手に向かって、急流が穏やかな流れに変わっていく様が,次の展開を期待させる。
 次の一連の場面は、尼公が弟の消息を訪ね歩く姿を描いているが、それは同時に当時の庶民生活の有様を生き生きと伝えている。そこには当時の日常生活の様々な音の世界を想像することを可能にしている。菜摘みの後にそれを選り分けている女性に始まり、隣の様子を垣根越しに伺う女性。その隣では、尼公が糸を紡ぐ女性と談笑している。その左には蔀戸を開けて外を眺める子供を負ぶった女性とその子供であろう少女が描かれている。その隣では窓から棒を振るって犬を追い返している男が見られる。二匹の犬がそれに吠えかけている。長閑な風情が伝わってくる。次に場面転換のための霞と深山現れた後、場面は東大寺の大仏の前の尼公が現れる。ここでも異時同図の技法が用いられ、大仏の前で祈り、弟との再会を祈願し、そこで一夜を明かすのであるが、夢でお告げを聞き、夜明けに出立するという一連の場面が同時に描かれているのである。彼女が出立すると大仏殿は霞に包まれ、その霞の中を一人歩きつづける姿が寂しく描かれている。そして場面転換の深山が現れ、次の詞書に続くのである。詞書が終わると少し間があって命蓮の僧房が現れる。左から尼公が弟を呼びかけると、障子を開けてその声に顔を向ける命蓮。この劇的な再開の場面は、余情を残しながら、次に転換されていく。僧房の中に招き入れられた尼公は、土産の衲を彼に渡し、次に姉弟が伴に仏道修行に励む場面が続く。それぞれがこの僧房で余生を過ごすことになるのである。再び深い山々が現れ、霞の向こうには山崎の長者のもとから運ばれた倉の屋根が見える。そして霞に溶け込むように、絵巻は静かな静寂の中に幕を閉じるのである。