シリーズ 作品鑑賞と美術史研究の手がかり(1)

兵庫教育大学芸術系教育講座 喜多村明里

《ドーニ家のトンド(聖家族、少年洗礼者ヨハネ)》
ミケランジェロ・ブオナローティ[1475−1564]
1505-07年頃/テンペラ 板/直径120cm
フィレンツェ、ウフィツィ美術館 Inv.1890, n,1456

Michelangelo Buonarroti、Caprese 1475−Roma 1564
《Sacra Famiglia con San Giovannino(Tondo Doni)》
1505-1507 Tempera su tavola, diam. cm.120
Galleria degli Uffizi,Inv.1890, n.1456

keywords=ミケランジェロ/ラファエッロ/ルネサンス/マニエリスム/トンド/聖家族/キリスト教

 
円い絵画:トンド

 《ドーニ家のトンド》注文主とミケランジェロの造形

 主題解釈

 美術史家トルネーによる主題解釈

 その後のミケランジェロ

 作品関連・簡易年表

 《ドーニ家のトンド》をめぐるエピソード:誇り高い芸術家と、ケチで横柄な注文主


円い絵画:トンド

「トンド」とはイタリア語の形容詞「円い=tondo」に始まる言葉で、とくにルネサンス期、1430年代から16世紀初頭のイタリアの富裕市民に愛好された円形の板絵を指す。市民の家庭生活にふさわしいものとして、トンドの絵画主題にはイエスの誕生を祝う「マギの礼拝」、情愛豊かな母子の理想像としての「聖母子」、さらにはそこに聖母マリアの夫、聖ヨセフを加えた「聖家族」が好んで描かれた。ルネサンスの画家たち――ボッティチェッリ、ラファエッロなど――は、円い画面に描き込む複数の人物像とその空間の構成に創意工夫を凝らし、人物の姿勢や仕草、微妙な表情を緻密に描き出すことで、そのすぐれた技量を競い合っている。

《ドーニ家のトンド》注文主とミケランジェロの造形

ミケランジェロ作《ドーニ家のトンド》は、フィレンツェの豪商アニョーロ・ドーニとマッダレーナの夫妻――ラファエッロ作の肖像画でも名高い−―が1507年9月8日に初めて授かった子ども、マリーアの誕生にちなんでその前後に発注・制作された。前景に大きく鮮やかな色彩で、幼児イエスとその両親、いわゆる「聖家族」を描く。★
 聖母マリアは裸足でゆったりと地面に座し、上半身を後ろへとよじって両腕を差し上げて、背後にいる年老いた聖ヨセフから幼児イエスを受け取ろうとするところだ。柔らかく右へと突き出た両膝、肩から伸びて左上後方に向かう両腕は、相反しながらも精妙な均衡を保っており、優雅な螺旋の力学に支えられたその姿勢は、すぐさまラファエッロによって《キリスト運搬》(1507年、ローマ、ボルゲーゼ美術館)右下の女性像に応用され、また、後の十六世紀マニエリスム美術の画家たちが人体素描を研究する際の、模範作例のひとつとなった。★
 マリアとヨセフの頭部は下半身に比べるとやや小さく、幼児イエスの頭部に寄り添うようにして、円形の画面の中で小さな「V」の字を形作る。背景にみられる古代風の青年たちの裸身には、《ヴェルヴェデーレのアポロン》、《ラオコーン》といった古代ヘレニスムの洗練された彫刻作例――《ラオコーン》は1504-06年に発掘されたばかりで、ミケランジェロはローマ滞在中にそれを研究しつくしたはずだ――の引用が明らかであるが、ミケランジェロは前景の「聖家族」のプロポーションにさらなる工夫を重ね、人体を「9,10、12頭身にすら作る」ことで、「自然のなし得ない優美な調和」(ヴァザーリ)を生みだすに至っていた。

主題解釈

《ドーニ家のトンド》主題解釈については、十四世紀末に始まった出産盆(デスコ・ダ・パルト)の絵画装飾の伝統と、ルネサンス期の人文主義的なキリスト教神学の反映が指摘される。円い出産盆の絵画装飾は、長子相続制をとる当時の家族において、長男の誕生を祈願しこれを記念するために制作されたもので、そこには健康的な男児や青年の理想像を描く伝統があった。《ドーニ家のトンド》もまた、幼児イエスのほか、画面右中景に上半身を覗かせる子どもの洗礼者ヨハネ、後景には青年たちの裸身を描く。それらはおそらく、注文主の妻マッダレーナ・ドーニの妊娠中、男児の誕生を願って描かれたものでもあろう(実際には女児が生まれたため、その子は画面中央の聖母にちなんでマリーアと命名されることになる)。     画面の中心を占めるのは聖母マリアだが、家父長制の市民社会におけるキリスト教の倫理に基いて考えると、マリアは神の意志のもと、ダヴィデ王の正統の子孫である夫にして家族の長、ヨセフに庇護されて子どもを授かった女性である。マリアの仕草は、夫ヨセフに幼児を手渡し委ねるところと見えなくもないが、地面に座すその姿は尊大というよりもあくまでも慎まさを具えた聖母であって、神と夫から子どもを受け取り授かる姿で描かれているとみるべきだろう。ヨセフは、老人とはいえ堂々たる体躯でマリアとイエスを支えている。家長の威厳を担う存在として、従来の美術作例にみるヨセフとはまったく異質な、力強さをそなえたヨセフ像をミケランジェロが生みだしたことにも注意するべきだろう。

美術史家トルネーによる主題解釈

美術史家トルネーは、円形画面を水平に区切る灰色の石壁から手前をキリスト教以降の律法の時代、古代風の青年群像が佇む後景を律法以前の古代の異教世界と解釈した。中景右で石壁の向こうから上半身を覗かせる洗礼者ヨハネは、旧約聖書時代の末期に救世主の到来を告げた存在であり、聖家族は、救世主イエスの誕生によってもたらされる福音と秩序の時代、新約聖書にもとづくキリスト教時代を象徴する。それらの時代をあまねく照らすものとして、左上方からの光が神を象徴していることは、古代の青年たちが光に無関心であること、救世主の到来を預言したの洗礼者ヨハネ、イエスを懐胎する聖母マリアの二人のみが、この光=神を直接に見上げていることから明らかだろう。トルネーの解釈は、きわめて正当なものとみられる。このトンドは、ルネサンス期の人文主義的なキリスト教神学のもと、人類救済の世界史観を巧みにまとめあげ、地上にあって救済を約束された人類あるいは家族の究極の理想像として、「聖家族」を描くものだということが出来るだろう。

その後のミケランジェロ

ミケランジェロはその後1508−1512年に、ローマのヴァティカン宮殿内システィナ礼拝堂天上壁画装飾を手がけることとなる。《ドーニ家のトンド》(1507年頃)は、ミケランジェロ作のテンペラ板絵として現存する唯一の作例作品であり、なおかつ、ルネサンスからマニエリスムの様式への趣味の移行を物語る作例の一つとして、きわめて重要な位置を占めている。

作品関連・簡易年表

1504/1月 アニョーロ・ドーニとマッダレーナ・ストロッツィの結婚――制作年上限
1506-7 ラファエッロ、《ドーニ夫妻の肖像》を制作(フィレンツェ、ピッティ宮パラティナ絵画館)
ミケランジェロ、《ドーニ家のトンド》を制作(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)
1507/9月 第1子マリーア・ドーニ=ストロッツィの誕生(8日)
1507 ラファエッロ《キリスト運搬》(ローマ、ボルゲーゼ美術館)――制作年下限
1508-12 ミケランジェロ《創世記》(ヴァティカン宮殿システィナ礼拝堂天井フレスコ装飾)
1535-41 ミケランジェロ《最期の審判》(ヴァティカン宮殿システィナ礼拝堂正面壁フレスコ装飾)


《ドーニ家のトンド》をめぐるエピソード:誇り高い芸術家と、ケチで横柄な注文主

この絵が完成した当時、ミケランジェロは注文主のアニョーロ・ドーニに対し七〇ドゥカート(金貨)を請求したが、アニョーロは吝嗇な性分でこれを払い渋り、四〇ドゥカートのみを送った。するとミケランジェロはその金を全額送り返し、一〇〇ドゥカート支払うかさもなければ絵は引き渡さない、と通告してきた。そこでようやくアニョーロは心を改め、当初の代金七〇ドゥカートを支払うと申し出たのだが、ミケランジェロはさらに気分を害してアニョーロの不誠実を責め、七〇ドゥカートの倍額にあたる一四〇ドゥカートを要求した。結局、アニョーロはその要求に従う羽目になった。★
[ジョルジョ・ヴァザーリ『ルネサンス画人伝』白水社 1982年収録「ミケランジェロ」伝より。ヴァザーリの執筆は1550,1568年のことで、このエピソードは芸術家ミケランジェロを賞賛しその人柄を直接知っていたヴァザーリによって巧みに脚色されたものとみられている。板絵画面のみの代金を70−100ドゥカートとすれば、木彫ストゥッコ装飾による豪華な金地額縁(オリジナル)もまたそれに劣らぬ価格であり、両代金を合算するとアニョーロの支払いは必然的に140ドゥカートになってしまった、とも考えられるのである。]


(喜多村明里/兵庫教育大学芸術系教育講座・美術史)