シリーズ 作品鑑賞と美術史研究の手がかり(1)兵庫教育大学芸術系教育講座 喜多村明里 《ドーニ家のトンド(聖家族、少年洗礼者ヨハネ)》 Michelangelo Buonarroti、Caprese 1475−Roma 1564 keywords=ミケランジェロ/ラファエッロ/ルネサンス/マニエリスム/トンド/聖家族/キリスト教 《ドーニ家のトンド》をめぐるエピソード:誇り高い芸術家と、ケチで横柄な注文主 「トンド」とはイタリア語の形容詞「円い=tondo」に始まる言葉で、とくにルネサンス期、1430年代から16世紀初頭のイタリアの富裕市民に愛好された円形の板絵を指す。市民の家庭生活にふさわしいものとして、トンドの絵画主題にはイエスの誕生を祝う「マギの礼拝」、情愛豊かな母子の理想像としての「聖母子」、さらにはそこに聖母マリアの夫、聖ヨセフを加えた「聖家族」が好んで描かれた。ルネサンスの画家たち――ボッティチェッリ、ラファエッロなど――は、円い画面に描き込む複数の人物像とその空間の構成に創意工夫を凝らし、人物の姿勢や仕草、微妙な表情を緻密に描き出すことで、そのすぐれた技量を競い合っている。★ ミケランジェロ作《ドーニ家のトンド》は、フィレンツェの豪商アニョーロ・ドーニとマッダレーナの夫妻――ラファエッロ作の肖像画でも名高い−―が1507年9月8日に初めて授かった子ども、マリーアの誕生にちなんでその前後に発注・制作された。前景に大きく鮮やかな色彩で、幼児イエスとその両親、いわゆる「聖家族」を描く。★ 《ドーニ家のトンド》主題解釈については、十四世紀末に始まった出産盆(デスコ・ダ・パルト)の絵画装飾の伝統と、ルネサンス期の人文主義的なキリスト教神学の反映が指摘される。円い出産盆の絵画装飾は、長子相続制をとる当時の家族において、長男の誕生を祈願しこれを記念するために制作されたもので、そこには健康的な男児や青年の理想像を描く伝統があった。《ドーニ家のトンド》もまた、幼児イエスのほか、画面右中景に上半身を覗かせる子どもの洗礼者ヨハネ、後景には青年たちの裸身を描く。それらはおそらく、注文主の妻マッダレーナ・ドーニの妊娠中、男児の誕生を願って描かれたものでもあろう(実際には女児が生まれたため、その子は画面中央の聖母にちなんでマリーアと命名されることになる)。 画面の中心を占めるのは聖母マリアだが、家父長制の市民社会におけるキリスト教の倫理に基いて考えると、マリアは神の意志のもと、ダヴィデ王の正統の子孫である夫にして家族の長、ヨセフに庇護されて子どもを授かった女性である。マリアの仕草は、夫ヨセフに幼児を手渡し委ねるところと見えなくもないが、地面に座すその姿は尊大というよりもあくまでも慎まさを具えた聖母であって、神と夫から子どもを受け取り授かる姿で描かれているとみるべきだろう。ヨセフは、老人とはいえ堂々たる体躯でマリアとイエスを支えている。家長の威厳を担う存在として、従来の美術作例にみるヨセフとはまったく異質な、力強さをそなえたヨセフ像をミケランジェロが生みだしたことにも注意するべきだろう。★ 美術史家トルネーは、円形画面を水平に区切る灰色の石壁から手前をキリスト教以降の律法の時代、古代風の青年群像が佇む後景を律法以前の古代の異教世界と解釈した。中景右で石壁の向こうから上半身を覗かせる洗礼者ヨハネは、旧約聖書時代の末期に救世主の到来を告げた存在であり、聖家族は、救世主イエスの誕生によってもたらされる福音と秩序の時代、新約聖書にもとづくキリスト教時代を象徴する。それらの時代をあまねく照らすものとして、左上方からの光が神を象徴していることは、古代の青年たちが光に無関心であること、救世主の到来を預言したの洗礼者ヨハネ、イエスを懐胎する聖母マリアの二人のみが、この光=神を直接に見上げていることから明らかだろう。トルネーの解釈は、きわめて正当なものとみられる。このトンドは、ルネサンス期の人文主義的なキリスト教神学のもと、人類救済の世界史観を巧みにまとめあげ、地上にあって救済を約束された人類あるいは家族の究極の理想像として、「聖家族」を描くものだということが出来るだろう。★ ミケランジェロはその後1508−1512年に、ローマのヴァティカン宮殿内システィナ礼拝堂天上壁画装飾を手がけることとなる。《ドーニ家のトンド》(1507年頃)は、ミケランジェロ作のテンペラ板絵として現存する唯一の作例作品であり、なおかつ、ルネサンスからマニエリスムの様式への趣味の移行を物語る作例の一つとして、きわめて重要な位置を占めている。★ 1504/1月 アニョーロ・ドーニとマッダレーナ・ストロッツィの結婚――制作年上限 この絵が完成した当時、ミケランジェロは注文主のアニョーロ・ドーニに対し七〇ドゥカート(金貨)を請求したが、アニョーロは吝嗇な性分でこれを払い渋り、四〇ドゥカートのみを送った。するとミケランジェロはその金を全額送り返し、一〇〇ドゥカート支払うかさもなければ絵は引き渡さない、と通告してきた。そこでようやくアニョーロは心を改め、当初の代金七〇ドゥカートを支払うと申し出たのだが、ミケランジェロはさらに気分を害してアニョーロの不誠実を責め、七〇ドゥカートの倍額にあたる一四〇ドゥカートを要求した。結局、アニョーロはその要求に従う羽目になった。★ |
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