| この庄子先生の実践は、北広島市立大曲中学校の山崎正明先生から紹介していただきました。
対話を通した『生の鑑賞』「共有するまなざし」
庄子 辰弘
中学校2年 鑑賞 配当時間 1時間
準備物
教師 パソコン、プロジェクター、レーザーポインター、画像データ
生徒 筆記用具、教科書
「生」から育みたい資質や能力
・作品に直に向き合い、じっくり観察することにより作品の本質に迫ろうと判断し思考する力
・作品との対話、他者との対話、そして自分との対話を通して、作品に対して今、ここで自分なりの意味を生成する力
・ 他者の気づきや発言から、自分にない良さや、新たな視点に気づく力
1 はじめに
学習活動の意図と可能性
今までの鑑賞教育は、提供された作品にたいする情報から、作品のなかに作家が込めた意図や価値を「教えよう」、生徒に「知ってもらおう」という教育観を中心としており、教師側はあくまで、作品に関する解釈や知識を伝授する役割であった。
それに対して、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の教育担当学芸員を12年間務めたアメリア・アレナスの提唱する対話型鑑賞法は、教師が作品に関する情報を提供することを極力控え、鑑賞者が自分で作品を凝視することから始める。自分なりに作品の意味(価値)を考え、他者との対話のなかでさらに見方を深めたり広げたりして、作品の理解という問題を解決していくという方法である。
それは、鑑賞行為を通して「一緒に美術を楽しもう」「共感し支援しよう」という教育観に基づいている。ここでは教師は生徒との対話を組織化し、交流を形成する進行役として機能する。作品の意味(価値)とは、既にできあがっているものではなく、生徒の意見を交流する過程で生成されていく。そこには、作品の題名も作者の名前も美術史も必要ない。
この学年は1年生の時に、カール・ラーション『最初の授業』(1学期、1時間)、マルク・シャガール『彼女の周辺』(2学期、1時間)、エドワァルド・ムンク『叫び』、絹谷幸二『泪、泪、泪』、歌川国芳『みかけはこはゐがとんだい々人だ』(3学期、1時間)を鑑賞している。また、ビデオを通して横山大観「生々流転」(3学期、1時間)について、作品制作の様子や、作者の生き方にも触れている。2年生ではパブロ・ピカソの「ゲルニカ」、福田平八郎の『雨』(1学期、1時間)鑑賞している。
「最初の授業」と「彼女の周辺」については、基本的な絵の見方を知らせることを目的として、発問形式での授業とした。カメラならレンズに映ったものは全て写り込んでしまうが、絵画の場合は、作者が描こうと思ったものしか画面には残らない。画面の中に描き表されたものはなにかしら作者の意図があって残されたものであるから、そこから作者の意図が読みとれるのである。
まず最初に、作品を見た第1印象を短い言葉でプリントに書き込む。次に画面の中に描かれた物を記入させる。次に画面の中にいる人物についてもその特徴を記入させる。そんな作業を通して作品のテーマや作者につながる発問などを絡めて、自分なりの感想をまとめられるようにと考えている。
絵の見方がわかってきたその後は対話型の鑑賞を実施している。3学期に行ったムンクの『叫び』では、慣れない対話型ながら、作品の中に描かれていることを手がかりに、なぜ眼を見開き、口を開けて耳を押さえているのか、そのショックの表情の理由を想像し、奥にいる2人の人物との関係で物語を作り出したり、人のうねりと背景の海のうねりとの共通性や色彩の効果などから造形的な要素にも着目するようになってきた。作者や題名がわかっていれば、そこから考え始めることになりがちだが、対話式の場合は作品と直に向き合い、本質的な部分に目が向かうようになるということのよい例だと思われる。
マサチューセッツ美術大学のアビゲイル・ハウゼンとMoMA(ニューヨーク近代美術館)とが共同研究を行って明らかになった「鑑賞能力の発達段階」では以下の5つの発達段階に分けられる。
第1段階「物語の段階」 作品をじっくり見ようとせず、自分の記憶や経験へ連想が飛躍するという特徴を持っています。
指導方法としては、まず「物語を語らせ」て、その発言の意図を指導者側が肯定的に認めつつ、より普遍的な言葉に導いていくことが大切です。
第2段階「構築の段階」 作品に接する機会が増えるにしたがって、鑑賞者は美術に関する知識や情報を自主的に欲するようになります。また、作品をよく観察することを心がけるようになります。この段階に対する指導方法としては、鑑賞者は単に知識を増やしたいだけでなく、自分で学ぶための方法も欲しているわけなので、そのための施設や用意が必要です。
第3段階「分類の段階」 鑑賞体験とともに知識が増えるにしたがって、美術史上の分類を重視するようになります。作品そのものを見るよりも、それにまつわる情報を得たり語ったりすることに満足感を覚えるといった特徴があります。第3段階以上の能力は専門的な教育を受けることではじめて獲得されるものです。
第4段階「解釈の段階」 美術史、技法などのあらゆる知識を踏まえた上で、自分の感覚を加えて解釈を行うことが可能となります。
第5段階「再想像の段階」 美術について熟知しており、創造者であるアーティストという存在に最大の敬意を払う人々がこれにあたり、作品と対話するかのような深い思索ができるようになります。
小学生や中学生であればほとんどの児童生徒が第1,2段階に該当すると思われる。そこで必要なのは、知識の紹介ではなく、鑑賞者が自分自身の目で見たことから作品を読み解いていくことができるように、対話形式で進められる鑑賞方法である。
2 題材観
(1) 題材観:生に感じるために
本時では、岡本太郎の『森の掟』を取り上げる。なにやら恐ろしげな怪物が誰かに襲いかかり、かぶりついている。まわりには驚くもの、危険を知らせるもの、知らんぷりをしているのか気づかないのか反応しないものなど多様なものが存在している。圧倒的な力を持ち赤く凶暴な怪物は背中にチャックがあり、チャックを開けてみるとどうなるのかと考えさせられる。岡本太郎が提唱する対極主義そのままにさまざまなものが寓意を込めて画面の中に存在する。
そして、じっくりと刈り終えた田んぼを見つめ、紙本の上に丹念に塗り重ねた地塗りの上に単純化された形で表された稲の切り株。日本的な幽玄の美を表現したで表わした叙情的な作品である徳岡神泉の『刈田』を提示する。
あくまで3年間の対話型の鑑賞を通じて提示する多様な作品のなかの一部であり、外国の美術と日本美術をバランスよくとりあげたいという授業者としての思いと、「森の掟」の動きの激しさに対して「刈田」の静かさ、対照的な、多様な物語を含む内容とシンプルな要素の内容、対極主義に代表される赤を基調とした激しい色使いに対して心落ち着く穏やかな色彩。縄文的な激しさに対して東洋美術に代表される幽玄さ。しかし、その底辺では脈絡とつながる日本人として血の共通性。これらの対象性や共通性、一つ一つの作品を鑑賞することで関連づける事ができ、多様な学びが期待される
(2) 生徒観:感じる主体
春光台中学校は旭川市のはずれ、鷹栖町と接する高台にある。高台小学校から他校と交流せずに入学する生徒達はお互いをよく知っており気心がわかっている。反面新鮮さに欠けるというデメリットも存在する。生徒数397名、学級数11の学校である。生徒達は来客にも元気な挨拶を心がけ、体育祭や学校祭には学級が一丸となって感動する行事を作り上げる。本日授業を行う2年生は体育祭においてほとんど実力が同じで、ほんの僅差の得点差で順位が決まるほどの接戦であり、それだけ実力が伯仲し、競い合ういい関係ができている。そういったよい関係からか、比較的落ち着いていて素直な学年である。
今年度の2年生は全体的に素直で、鑑賞の授業でも昨年から積極的に自分の見方を発表し、さまざまな見方を交流しあってきた。2組については1学期にパブロ・ピカソの『ゲルニカ』及び福田平八郎の『雨』を鑑賞している。本授業のプレ授業としておこなったものであるが、多数の参観者がいるなか、それほど緊張せずに予想通り多様な意見を発表してくれた。
『ゲルニカ』においては、なぜ白黒で、こんな変な顔をした人物や動物がいるのか、この絵の中ではいったい何が起きているのかということに生徒は疑問を抱く。自分の中でどう納得するのか。さまざまな思考が浮かび上がってくるはずである。プレ授業では、対話を通して戦争や動物の反乱など他の学級と同じような傾向で対話が進んだが、中には描かれている人物が学級の友だちだと言い出す生徒も出てきたり、天井の電球の光加減からイカを連想してこの絵を函館だと言い出す生徒も出てきてしまった。本当にそう思ったのか、面白くするためにわざと発言したのか判断に苦しむ場面であったが、他の学級と違うこのような傾向も在るクラスである。ただし、最後にまとめた解釈や感想では戦争にたいする悲しみや、動物虐待を感じるものなど他の学級と同じようにまとめていた。また、『雨』においては瓦しか描かれていない作品を見て「えっ、これが絵なの?」と多くの生徒が思うはずである。何が表されているのだろうと隅々までくまなく探していくはずであるが、実際他の学級でも雨の存在にはなかなか気付かず、年季の入った古びた瓦に表された何かをみつけだそうとしていた。
(3) 指導観:感じる指導
まず作品の全体図をプロジェクターで投影する。じっくり隅々まで見つめる。そして、タイミングを見計らって、拡大図を見せていく。生徒が作品をすみずみまで眺めた後、「これは何だろう?」、「何が起こっているのだろう?」と教師は問いかける。その答えについて「何を見てそう思ったのか?」、「どうしてそう思うの?」とさらに生徒に深く考えるよう促す。生徒は提示された情報からではなく、作品に直に向き合って素直に気づき、自分なりに感じとろうとする(作品との対話)。
多様な生徒の意見を引き出すように受容的態度で教師は対話の進行役に徹する。自分とは違う他人の意見を尊重し、その良さと違いを認めあう交流を通して、それぞれが自己の意見を見直し、他者の意見を認め、熟考することで、共感する感性を育む。また、板書を通し生徒の意見(内容や形式の質)についての確認ができるように配慮する(他者との対話)。
自分の「感じ・気づき」が認められることで、自己実現の喜びを感じると同時に、生徒は広がりと深まりのある作品解釈を知る(自己との対話)。
これら三つの対話は、響きあいながら相互に影響しあい、互いに高めあい、より深い鑑賞に変容するはずである。
作品を見るまなざしは自分だけのものではない。同時に作品を見つめる自分以外のまなざし。自分だけの作品をみとった意味(価値)だけでなく自分以外の人のみとった意味(価値)を対話することで共有できるとしたら、なんと素晴らしいことではないか。
この対話型の鑑賞を継続することで、表現における制作においても良い影響を結ぶことが期待される(表現と鑑賞は表裏一体)。また、生涯を通じて美術を愛好し、自分なりの解釈を自分自身が生みだすという、自ら学び自ら考える「生きる力」をも育てるに違いない。
3 指導の目標
(1)作品にたいして素直に向き合い、自分なりの意味(価値)を生成しようとする。
(2) 他者との対話を通して、作品の意味(価値)やその多様性と深まりに気づくことができる。
4 本時の計画(全1時間)
(1) 作品との出合い(作品との対話)
・岡本太郎『森の掟』、徳岡神泉『刈田』に対して素直に自分なりの感じや、気づきを大切にして、じっくりすみずみまで作品を眺める(生の気づき)。
(2) 交流する(三つの対話)
・対話の響きあいを通して、お互いの意見の良さや違いに気づき思索し、作品の意味(価値)を「今、ここで」自分なりに生成する。
(3) 見つめなおす(自己との対話)
・作品にたいする自己の思いや解釈の変容をふり返り、自己の成長を実感する。
5 本時の目標
(1) 作品にたいして素直に向き合い、『森の掟』、『刈田』について自分なりの意味(価値)を生成しようする。
(2) 他者との対話を通して、作品の意味(価値)を交流しあい、お互いの意見の違いや良さを発見し・認め合い・尊重することができる。
6 評価
(1) 作品にたいして素直に向き合い、『森の掟』、『刈田』について自分なりの意味(価値)を生成しようとしたか。
(2) 他者との対話を通して、作品の意味(価値)を交流しあい、お互いの意見の違いや良さを発見し・認め合い・尊重することができたか。
7 学習の展開
| 段階 |
生徒の活動の流れ |
指導上の留意点(支援・評価等) |
| 絵との出合い |
○『森の掟』を投影し、じっくりすみずみまで作品を眺める。 |
○集中して作品を眺められる時間を確保する。
○拡大図もみせて、細かい部分まで注意を喚起する。
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| 対話 |
○感じたことを発表し対話を通して交流する。 |
○受容的態度で生徒の意見を受け止め、安心感を与える。
○多くの生徒が発言するように配慮する。
○意見の質がわかるように板書する(ファシリテーションマトリックス)
|
| ふかまり |
○作品についての解釈をまとめる。 |
○板書された意見をもとに自分の発言や思いを考慮しつつ気づいたこと、考えたことをまとめさせる。 |
| 絵との出合い |
○『刈田』を投影し、じっくりすみずみまで作品を眺める。 |
○集中して作品を眺められる時間を確保する。
○拡大図もみせて、細かい部分まで注意を喚起する。
|
| 対話 |
○感じたことを発表し対話を通して交流する。 |
○受容的態度で生徒の意見を受け止め、安心感を与える。
○多くの生徒が発言するように配慮する。
○意見の質がわかるように板書する(ファシリテーションマトリックス)
|
| ふかまり |
○作品についての解釈をまとめる。 |
○板書された意見をもとに自分の発言や思いを考慮しつつ気づいたこと、考えたことをまとめさせる。 |
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○最後に、2点の板書を比べて解釈の視点を知る |
○最後に2点を比較したうえでの共通項と差異とについて考える。 |
エディター注)なお、ここでは庄子先生の実践報告の一部を紹介させていただいています。

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