聞こえない音を聴く

正倉院螺鈿紫檀五絃琵琶の復元を通して

 岡山県笠岡市立笠岡東中学校 小野 元

 正倉院螺鈿紫檀五絃琵琶(以下五絃)の復元に挑戦する過程で、楽器という本来の「用」と工芸的価値の「美」の両面から工芸作品の鑑賞について思いを巡らせることになった。

●美しいものは本当によいのか
 楽器の形は美しいものである。よりよい音を求めて試行錯誤がなされてきた結果なのであろう。そして美しいだけでなく楽器としての機能である音を出すということをも満足している。正倉院螺鈿紫檀五絃琵琶に関して言えば螺鈿、象嵌など当時の工芸技法の粋を集めて作られている。
 しかし、こうした装飾によって実は大きな問題が生じているのである。先行研究者の話によると音は特に材木の繊維方向によく伝わる性質を持っており、途中に腐れや節があるとよくないということである。五絃のように螺鈿や鼈甲その他の材料を音を響かせる部分(この場合は特に腹板)に埋め込んだり貼ったりすることは実に理に合わないということになる。ヴァイオリンやチェロなどでも極めて特別なものを除けば音の振動を妨げるような装飾はされていない。では五絃についてはなぜこのような意匠になったのであろうか。楽器である以上に装飾的な価値が重視されたのであろうか。
 西洋の弦楽器であるヴァイオリンの中には、機能と音を極限まで追求しそれが機能美といえる美しさをもつものに対して、鼈甲や大理石でできた音を出すという機能を排除したもの、あるいは音を出す機能を押さえて装飾的な美だけを楽しむものがあるのも事実である。五絃の過度とも思われる美しい装飾は音を楽しむ道具としての意味から離れて装飾的な意味合いが強くなり見て楽しむものになったものではなかったのか。あるいは演奏の形態が現在とは異なり音量を必要としなかった(結果として音を追求しなかった)ためであろう。

●絵画を見る。楽器を見る?
 話は変わるが、名器と呼ばれるストラディバリ作のヴァイオリンは力強いf孔以外には特に目立った装飾はなくパフリング*さえも板の割れを最小限にくい止める機能のためと考えれば実にシンプルなものである。純粋に音を出すための機能を最優先したものと言える。
 しかし、いくら名工が作ったものであっても音響生命は無限ではない。このヴァイオリンの音は作られてからの時間を考えると現在あたりがピークだとか巷はうるさい。たまたまストラディバリを実際に聴く機会恵まれた際は、残念ながら私には普通のヴァイオリンの音にしか聞こえなかった。聴く人間にレディネスがないということなのであろう。悲しいものである。
 ニューヨークのメトロポリタン美術館に行くとガラスケースの中にこの作者の楽器が展示してある。最も艶やかな音を出す今日を沈黙のまま過ごすことは制作者として最も許し難いことであるに違いない。確か、このヴァイオリンを貸し出して云々ということが記事に出ていたようではあるが・・・。他の数え切れないほどの楽器のことをも考えると美術館は時代のすばらしい遺品として、時代を象徴するものとしてもこれを展示しようとしているに違いない。(ここには、楽器作者と演奏家、聴衆という関係以外の関係が生まれている。
 このヴァイオリンを美術館で観覧する人間たちは、演奏家という限定された人間でもなくその楽器の演奏を聴くために集まった人間でもない不特定多数である。そして先述のごとくここには実際に触るということもなく、弾くということもなく、音もなく単にガラス越しに見るということのみがある。ここでは絵画を鑑賞することとはまるで異なる鑑賞が行われている。本来は使うという目的のために作られたものが使われることもなく見ることを目的として陳列されている。同様のことは陶芸の陳列作品群にも当てはまるように思う。焼き物の先生が私の器は飾って置かないで使って下さい。使う為に作ったものですからと言われていたのを思い出す。

●琵琶の延命方法と蘇生方法
 楽器の取り扱いについてであるが、色々な方が最良のメンテナンスは実際にその楽器を使うことであると口をそろえて述べている。一方で、当然のことであるが使う頻度が多ければ傷む部分も多く出てくる。琵琶の柱のように交換を前提にされているものもある。先行研究者の話によれば、例えば平安時代や鎌倉時代の楽器を音が出るように修理する事は可能であるということである。勿論、その時代の音と同一と言えるかどうかは分からない。
 こうして考えていくと、使われていたものが壊れたのでその時代ごとのケアをし、更に生き延びられるようにするということは極めて当たり前のことのように思えてくる。明治期に五絃を修理、補修したと聴くがこの時にはこの琵琶を弾くためにと強く意識していたに違いない。

●聞こえない音を聴く
 実際に私が復元してみようと考えたのは五絃のフォルムの美しさに惹かれたことと四絃の琵琶の音を聴く機会はあったが五絃の方はどのような音がするのかと興味を持ったからである。測定値をもとに実物の大きさのものを作ってみた。それから何ヶ月か経った頃に戦後まもなく五絃の音を記録したレコードが出されていたことを聞いた。
 私が復元した五絃は木の材質も勿論異なるし、張ってある絃も覆手や半月*や陰月*の大きさなど不充分な処理が目立つ復元であったが、先行研究者である楽琵琶師さんは、確かに先述のレコードで聞いた音であると言われた。大きさやフォルムが本物と似ているから大体似たような音が出るということである。人間の体に例えるならばよく似た骨格の人が似た声を出すということにも相通じるのであろう。何年か後にガラスケースの中の五絃を見る機会があると思う。楽器なら実物を弾けて音を確かめられる展示方法が最も良いであろうが、あまりに貴重過ぎるものということで致し方ない。
 しかし一方では音のない展示方法にはどのような音がするのであろうかとある意味でより一層興味をかき立てられる部分もある。

注)

パフリング
 ヴァイオリンの縁周りの2本の黒い線。通常、象嵌を用いて施される。

陰月
 琵琶の覆手(絃を固定する部分)の下に開けられたサウンドホール

半月
 琵琶の腹板に施された半月様のサウンドホール

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