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小崎 真 愛知県豊明市立豊明小学校(前一色町立一色中学校)
生徒が生き生きと作品に関わる鑑賞教材の開発を目指して
「『最後の晩餐』のなぞを解き明かそう(中1)」の実践から
はじめに
鑑賞の授業での生徒の様子を見ていると,「この作品は好き」「どこかで見たことのある作品」「すごくうまい作品」と共感的に鑑賞する姿があるものの,「高尚すぎて分からない」「何がいいのか理解できない」,あるいは「理解できないところが芸術だ」というような声を耳にすることがある。これは,生徒が芸術作品を誤解していたり,制作された意図を正確に理解できていなかったりするためと考えた。
そこで,美術の授業で美術作品を取り上げる際,生徒に鑑賞することの素晴らしさやおもしろさを味わわせる必要性を感じた。授業で作品を教材として扱う場合,我々は指導者として,生徒が生き生きと作品に関わることができるような筋道を立て,手だてを考えていく必要がある。生徒が鑑賞の授業を通して作品の本当の価値に気づいたとき,自ら進んで美術作品に関わろうとする姿を見せるであろう。そこで,今回のテーマを「生徒が生き生きと作品に関わる鑑賞教材の開発を目指して」とし,研究を進めていくものとする。
研究の方法
作品を鑑賞するにあたって,生徒はどのような道筋をたどっていくのであろうか。上野行一が著書『まなざしの共有』でアメリア・アレナスの対話型鑑賞法について「受容」「交流」「統合」という3点をあげている。ここでは、アレナスの方法を参考にし,研究を進めていくものとする。特に,作品に描かれたもの(情景,動き,表情など)を具体的に1つずつ言葉で説明させ、できる限り生徒の考えを受け入れ、話し合わせていくことで,作品の主題に迫る深い感動体験ができるのではないかと考えた。そこで,仮説を以下のように設定した。

仮説1 作品に表現された内容を具体的に見つめさせ、生徒の気づきを受け入れることで,生徒が作品に対する理解を深め,生き生きと作品に関わっていくことができるのではないか。
アートゲームは,アメリカで考え出されたもので,ゲームの要素を取り入れた活動を通して,美術作品に親しみながら作品を鑑賞する力を身につけていくことを目的とした教材,あるいは授業形態である。絵はがき大の美術作品が印刷されたカードや,大きく引き伸ばされた作品の複製画を使って,「絵合わせゲーム」「形容詞ゲーム」「カルタとりゲーム」「お話作りゲーム」などを行うことで,作品に対する見方や考え方を広げたり,作品に対する親しみが増してきたりするというものである。実際に美術館でのワークショップや美術の授業で行われており,普段はあまり美術作品に関わることがない生徒たちも,ゲームという活動を通して美術作品に親しむ様子が数々の実践で紹介されている。さて,今回の研究で考えていきたいのは,このアートゲームをそのまま授業として行うのではなく,アートゲームの考え方を従来の鑑賞の授業に持ち込んでみてはどうか,ということである。生徒がよく目にする作品でも,ゲームの要素を加え,さらに大勢の仲間の中で関わり合い,刺激を受けながら考えていくことができるのではないか。そして,意欲的に作品に関わり,普段は気づかない造形要素や作品のテーマに迫っていくことができるのではないかと考えた。そこで2つ目の仮説を次のように設定した。
仮説2 アートゲームの要素を授業の中に取り入れることで,生徒が意欲的に作品に関わり,より深く作品を理解することができるのではないか。 2つの仮説を検証するために,次のような具体的な手だてを設定した。
ア.仮説1に対応する手だて〜鮮明な図版の準備と教材研究の充実〜
作品の図版はできるだけ鮮明なものを準備し,図版の中から具体的に発見ができるようにする。作品をスライドや液晶プロジェクターで拡大して表示する方法があるが,ここではカラーレーザープリンターで鮮明に印刷した図版を個々に配布し,さらに,拡大印刷した作品を提示する方法をとるものとする。 教材研究につては,生徒に発見させたいものや感じ取らせたいものが,具体的にわかりやすく表現されているかどうか,授業で話し合い深めていく価値があるかどうかという点で教材化する作品を取り上げるものとする。
イ.仮説2に対応する手だて〜アートゲームの良さを活かすことができる教材開発〜
アートゲームの教育的な成果として期待される点について,ふじえが『芸術と教育』で次の3点を上げている。
・ゲーム的な遊びを通し,美術や美術作品の世界に親しみながら,新たな発見をしていく。
・造形要素や造形原理についての分析的な見方や造形の考え方を体験し身につけていく。
・作品をめぐるゲーム参加者同士の話し合いや協力から,参加者それぞれの作品への多様なアプローチや感じ方の違いに気づき,互いにその異なる点を認め合うようになる。
この3点を考慮しながら単元を構想していが,安易にゲームの方式として授業に取り込むことにより,単に正解・不正解や勝敗だけにこだわってしまい,アートゲームが本来ねらっている主旨とずれてしまわないよう配慮したい。 『最後の晩餐』の教材としての有効性を探る レオナルドの『最後の晩餐』を取り上げるのは,3つの点からである。まず,1つ目は「描かれた人物の表情や動きが豊かに表現されている」という点である。『最後の晩餐』は過去に多くの作品が残されており,例えば,モザイク画として描かれた壁画では,弟子達が同じ様な人物像で描かれており,表情を読みとることが困難である。また,レオナルドの生まれる4年前にカスターニョが描いた壁画についても,レオナルドのものに比べると身振りや表情がやや乏しい。それに比べ,レオナルドの描いた『最後の晩餐』には,キリストの絶望感,ユダの驚愕,ペテロの激怒などが,まるで舞台劇を見ているように臨場感あふれる表現で描かれている。そのため,生徒はこの絵から,描かれた人物の心の動きを具体的に読みとることができるであろうと考えた。 2つ目は「情景が具体的かつ克明に描かれている」という点である。モザイク画,そしてカスターニョが描いたものを比べるとよく分かるが,例えば,テーブルの上に並べられているものひとつひとつが,あたかもそこに並んでいるように描かれている。生徒がテーブルの上に並んでいるパンや皿,あるいは服などを具体的に見つけ,興味を持って関わっていくことが予想される。
3つ目は「ユダが他の使徒の中に紛れて描かれている」という点である。レオナルドが描く以前の『最後の晩餐』は,例えばカスターニョの作品のように,裏切り者のユダがテーブルの反対側に座っている構図が一般的であった。しかし,レオナルドが「身体の動作によって魂の情熱をよく表している人物像こそ賞賛に価する」と述べているように,ユダの驚愕の様子を計算し,的確に表現することで,あえて他の使徒の中に紛れ込ませたという画家としての挑戦があった。そこで,仲間を裏切ったユダを,レオナルドの表現した表情や身振りから見つけだすことは,アートゲームの「推理ゲーム」の要素があり,生徒が興味を持つであろうと考えた。

CGで再現された『最後の晩餐』
レオナルドの『最後の晩餐』は,完成後500年を経てきたが,1997年に約20年間に渡って行われてきた修復作業が終った。レオナルドの『最後の晩餐』の素晴らしさは,当時各地に広まり,多くの作家に影響を与えてきた。しかし,完成した時点でこの名作は,既に壁から絵の具がはがれ落ちるという不幸に見舞われた。じっくり筆を運ぶレオナルドにとって,漆喰が乾かないうちに仕上げるフレスコ画より,テンペラ画を選択したことが原因であった。そのため食堂の壁画として描かれた『最後の晩餐』の絵の具は,湿気と熱でひび割れ,はがれ始めたのである。そのため,長い年月で汚れてきた画面の洗浄と,後世に改悪されてきた加筆を取り除く作業を行い,わずかに残ったレオナルドの絵の具の部分を探し出しながら,レオナルドが描いた本来の姿に近いものが再現された。
さらに,1999年にはNHKがCGを用い,500年前の状態を再現した。修復された『最後の晩餐』を実物大のデータとしてコンピュータに取り込み,レオナルドが残した数枚の『最後の晩餐』用のスケッチ,レオナルドの他の作品,そして過去に何度も模写された作品を参考にして,CGで再現したのである。CG化に当たっては,不明な部分も残しながら,可能な範囲で鮮明に再現したものであり,『最後の晩餐』の1つの可能性を見つめることができる貴重な資料と言えよう。 なお,CG化された原寸大の『最後の晩餐』を用い,アメリア・アレナスが1999年にニューヨークの高校生を対象に大変興味深い授業を行っており,今回の実践の参考にさせていただいた。
「『最後の晩餐』のなぞを解き明かそう」の実践より 今回研究を行った学級は1年5組(男子20名,女子17名,合計37名)である。本学級の生徒に対し,生徒全員に『最後の晩餐』をカラーで印刷したものを配布し,「この絵を見て,気がついたこと,分からないことを10個書き出そう」と投げかけた。生徒の気づきを,ア.知識に関わる意見,イ.情景に関わる意見,ウ.主題に関わる意見の3つに大きく分けてまとめると次のようになる。
ア.知識に関わる意見
・外国の絵である。外国の人である。
・男の人と女の人がいる。
・13人の人がいる。
・真ん中の人は多分イエス・キリストである。
・長いテーブルである。・古い時代の絵である。
イ.情景に関わる意見・食事の場面の絵である。
・パンや飲み物が置いてある。・皿の上に食べ物がのっていない。
・外は晴れている。
・扉がたくさんある。(壁のタペストリーを扉と見立てている。)
・はだしである。(実際にはスリッパをはいている。)・同じ様な服を着ている。
・髪の色が茶髪である。
ウ.主題に関わる意見
・食事の場面なのにだれも食べていない。
・立っている人と座っている人がいる。
・真ん中の人を他の人たちがさけている。
・真ん中の人がみんなから責められている。
・真ん中の人が困っている。・驚いている人がいる。
・右の3人が何か秘密の相談をしている。
・指を立てて怒っている人がいる。
授業では,この3つの気づきを授業の流れの中で順に取り上げ,主題を深めていきたいと考える。今回,留意したいのは,教師が一方的に課題を与えて考えさせていくのではなく,できるだけ生徒の気づきを授業でとりあげながら,生徒の思考の流れで課題に気づかせていきたいと考えた。なぜなら,生徒が自分たちから知りたいという気持ちになって初めて,「調べたい」「深めていきたい」という必要性が出てくるからである。初めから「調べよう」「主題にせまろう」と投げかけても,追求しようという動機が弱ければ,課題を追求する意欲も弱くなってしまうからである。
研究授業の記録から
では,ここで研究授業の記録を紹介したい。なお,Tは教師,Sは生徒である。T:これは,前回,みなさんに配った絵を拡大したものです。今日はその作品のなぞを,みんなで考えていこうと思います。では,気がついたことを発表してください。S:外が晴れている。S:食事をしている。T:今食事について意見が出たけど,食事について考えがある人は言ってください。S:パンと肉と魚がある。S:半分から左の人たちは肉を食べてて,右の人たちは魚を食べている。S:食べ物が皿にのっていない。S:目の前に食事があるのに,だれも食べていない。T:確かに食べている人はだれもいないね。(絵で確認する。)その他,食事についてありますか?S:テーブルがでかい。T:(テーブルの大きさを8メートルと紹介する。)T:では,他のことで気づいたことがある人?S:西洋風の絵である。S:13人いる。男がほとんど。T:男はだれ?前に出てきて教えてくれる?S:(黒板に掲示してある作品を指差して,確認する。途中で迷いながら13人のうち10人を男とした。)T:では,この絵に登場している人の様子を見て,気がついたことがある子,教えてください。S:あらそっている感じがする。S:みんなが真ん中の人をさけている。S:真ん中の人が落ち着いている。うつむいている。S:真ん中の人がみんなから責められている感じがする。S:けんかをしている。S:討論をしている。S:相手の何かをいっている。S:右の3人が深刻な話をしていると思う。S:左端の人が興奮して立っている。S:右から4番目の人が,真ん中の人にけんかをうっている。(笑い)こんな感じで(動作化している。)S:中心の右どなりの人が,指を立てて怒っている。T:他に,出てくる人たちの様子で気がついたことがある人いる?そうだね,みんなが考えてくれているように,食事なのに食事をしてないし,何か変な雰囲気になっているね。一体この人たちは何を話していると思う?S:これは,遺産相続問題でもめていると思う。(笑い)T:そうか。どんな様子か教えてくれる?S:これは,みんな兄弟で(笑い)真ん中の人が調停人で,みんなが文句を言っている。S:ぼくは村人が集まって会議をしていると思う。若い人も年寄りもいるから。T:村の問題を話し合っているのかな。なるほどね。実は,さっきも出てきたんだけど,この真ん中の人。この人がだれであるかが,大きく関わってくるんだけど,この人だれか知ってる?S:(小声で数名)キリスト?T:そう,真ん中の人はイエス・キリストさんです。この人,このあとどうなったか知ってる?S:(3人ほど,手ではりつけのかっこうをする。)T:そうそう,このキリストさんは,はりつけにされてしまうんです。そのはりつけの絵が実はあるんだけど・・・。どうしようかな。ちょっと気持ち悪いと思うけど・・見る?S:見る!見る!(大勢の子が声を出す。)T:じゃあ,見せるね。これです。(イーゼンハイム祭壇画』の複製画を示す。)S:(静まりかえる。絵をじっと見つめる子,気持ち悪いと目を背ける子がいる。)T:実はこの食事会のあと,キリストさんは,はりつけにあって殺されるのです。では,ここでみんなに考えて欲しいことがあります。なぜ,ここに集まった人はけんかになったのでしょうか。S:(しばらく静まり返り,重い雰囲気の状態が続く。)T:では,何か考えが浮かんだ人は教えてください。S:キリストの教えが他の人と違ってきて,けんかになった。S:宗教戦争があったのでは?キリスト教と違う考えが出てきて,けんかになったと思う。例えばイスラム教とか。T:今,2人の子がいってくれた通りなんです。キリスト教に反対する,あるいは違う考えの人がこの中に出てきてしまったのです。その人がキリストをはりつけにさせてしまうことになりました。ところが,キリストはそのことを見抜いていて,みんなに向かってこう言いました。「この中に私を裏切ったものが一人いる。」と。そこで,この絵から裏切り者を一人見つけてください。実は先生がタイムマシンに乗って500年前に行き,写真を撮ってきました。この写真だと細かいところまでよくわかると思うので,この中から裏切り者を捜してください。S:(班ごとにCG版『最後の晩餐』を配る。グループごとに顔をつきあわせるようにして,ユダを探し始める。しばらく班ごとでにぎやかに話し合いを進める。)T:では,犯人が見つかったという人は立ってください。犯人と思う人と,そのわけを教えてください。S:ぼくは一番右端のおじさんだと思います。顔があやしいからです。(笑い)S:私は左から4番目の人だと思います。手にナイフを持っているからです。S:ぼくも同じで,左から4番目の人だと思います。ナイフを持っていて「このやろう!」って怒っているからです。T:なるほどね。他にこの人が犯人だ,と思う人はいませんか?では,ここでジャッジ!実は先生は,この絵をかいたレオナルド・・・,あ,言っちゃった!(笑い)そのレオナルドさんにタイムマシンに乗って聞いてきました。レオナルドさんによると・・・。この2人ではありません!(S:驚いた様子)では,残り人の中から捜し出してください。S:(班ごとにCGの写真を再び見て捜し出す。)T:では,犯人が見つかった人は教えてください。S:ぼくはキリストのすぐ右にいる顔だけの人だと思います。指を立てて,怒っているからです。S:ぼくは,左から5番目の人だと思います。表情が「何で分かったんだ!」って感じの顔をしているからです。T:他にありませんか?では,ここでジャッジをします。レオナルドさんに聞いてきたら,ヒントをくれました。「あなたは自分が秘密のことやうそがばれたとき,どんな表情をしますか?」って。今言ってくれたように,「何で分かったんだ,がーん」ってびっくりするでしょ?だから,左から5番目の人が正解です。今日は,みんなの意見でこの絵のなぞを考えてきましたが,多くの子が意見を言ってくれたし,真剣に授業に参加できたのでとってもよかったです。では,今からプリントを配りますので,今日の授業の感想を書いてください。(ワークシートを配る。)
以下は,生徒の感想である。
今日の研究授業はすごく楽しかった。みんないろいろなおもしろいことを言ったりして,ぼくは最後まで犯人がよく分からなかったけど,すごく楽しかった。また今日みたいな授業があったらいいと思いました。
今日の授業は楽しくできた。しかも,しっかりと聞けたと思います。それで,最後の結末を先生が言うときは,ドキドキした。でも,意外な人が犯人で少し驚いた。またこんな楽しい授業ができるといいです。
最初はどういう絵なのかわからなかったけど,話を聞いていくうちに,だんだん絵の意味がわかっていっておもしろかったです。裏切り者の表情を,この絵を描いた人はどうしてわかったのかと思いました。
一枚の絵からこんなにたくさんのことを考えられるなんてすごいと思いました。人は見かけによらないんだなあと改めて感じました。キリストが,こんな会議を開いたことや,仲間の人から信頼されていたことなど,たくさんのことがわかりました。だから描いた人は細かいところまでしっかりわかっていなければいけないなと思いました。
今日は1つの絵のことしかできなかったけど,けっこう楽しかったです。これからもこういう絵を読むということをしていきたいと思いました。もう少し時間があったら,この絵はどこの人たちの絵で,だれが描いたとかをもっと知りたかったです。そしてもっと絵を読むということをやっていきたいと思いました。授業が始まる前から,うしろに置いてあったモナ・リザの絵も授業でやりたいと思いました。キリストが「自分を裏切る人がこの中に一人いる」と言った時の裏切り者の表情が細かく描かれていた。こんな場面を描いたレオナルド・ダ・ビンチ?はすごいと思った。こうやって細かく見ていくと,絵はおもしろいと思った。インターネットや本でまた調べていきたいです。
仮説の検証
本実践ではレオナルドの『最後の晩餐』を取り上げたが,カラーで鮮明に印刷された図版から,人物の豊かな表情や動き,テーブルの様子から具体的に目を向け,意欲的に授業を進めていくことができた。特に,13人の人物について生徒は強い関心を示しており,例えば真ん中のキリストが浮かび上がってくる構図について「真ん中の人をさけている。離れている」としたり,ユダを捜す場面では,体の動きや手のポーズにこだわって意見を述べることができたりした。また,「男と女の人がいる」という意見からは,レオナルドがねらっている両性具有の表現を感じ取っていた。つまり,レオナルドが意図した表現を,生徒が的確に読みとっていることがわかる。
以上のように,鮮明に印刷された図から,作品として表現されたものを具体的に拾い上げていくことで,作品の主題を授業の中で分析し,解釈することができると考える。
次に,授業としてどう教材化していくか考えたい。授業の中で『イーゼンハイムの祭壇画』を紹介したが,描写された死のイメージから『最後の晩餐』の背景にある「最後」という言葉の重さ,『最後の晩餐』に込められているテーマを,生徒が肌で感じ取っていることが生徒の表情や様子から見られた。この気づきが,その後のユダを意欲的に捜す動きにつながっていったと考える。また,この授業を行った頃,テロに関わるニュースが流れており,宗教の対立とからめた意見は,作品をより深く理解する上で重要であった。
以上のことから,作者が意図した主題に対して,生徒がどう関わってくるか,心の動きや思考の流れを予想して,作品を教材化する必要があると感じた。
また本実践では,アートゲームの要素を「裏切り者のユダを捜そう」という形で取り入れたが,レオナルドがユダを描いた際に,ユダを他の使徒の中に紛れ込ませるように表現していたので,生徒はレオナルドの意図に従って迷いながらも意欲的に捜すことができた。ユダを捜しながら,描かれた人物の表情や身振り,手の動き,服,手に持っているものなどをじっくりと見つめ,「表情があやしい感じがする」「手に怒りの気持ちが表れている」といった意見に見られるように,レオナルドの意図した表現を,仲間と楽しく読みとっていく姿が見られた。「さがす」という遊びの行為が,生徒の学習意欲をかき立てていくことを実感した。
ただし,アートゲームを行う際にも指摘されているように,ゲームの勝敗や,正解や不正解にこだわりすぎてしまうと,『最後の晩餐』が単なる犯人捜しの手段にしか扱われないおそれがある。これは,「犯人を捜そう」という課題が設定されている場合,犯人が見つかった時点で課題が終わってしまうため,それから学習が広がりにくい。そこで,指導者は『最後の晩餐』に込められた深い主題について充分理解し,授業でとりあげていく流れを考える必要がある。そのため,今回は初めから「裏切り者を捜そう」という入り方をせず,あくまでも作品理解を主眼に置いて指導してくことよう心がけた。おわりに この授業のあと,生徒に「この絵を見て,わからないこと,疑問に思ったこと,これから調べていきたいことを書きましょう」と投げかけたところ,「なぜ,この絵を描いたか」「だれが描いたか」「いつ頃描かれたか」「この絵はどこにあるのか」「どこの国のお話か」「描いた人はどんな思いでこの絵をかいたのか」「なぜキリストは裏切られたのか」「後ろの黒い部分は何だろう」「手前の白いいすのようなものは何だろう」という疑問が出てきた。今後は生徒それぞれの課題を追求させていくが,方法としては生徒の感想にもあったように,文献やインターネットで調べさせていきたいと考える。さらに,レオナルド・ダ・ヴィンチの他の作品や業績について調べたり,ルネサンス美術について調べたりと,生徒の追求が広がっていくことが期待される。
参考文献
よみがえる最後の晩餐 片桐頼継 日本放送出版協会 2000年
まなざしの共有 アメリア・アレナスの鑑賞教育に学ぶ 上野行一監修 淡交社 2001年
みる かんがえる はなす アメリア・アレナス著 淡交社 2001年
レオナルド・ダ・ヴィンチ 復活『最後の晩餐』 片桐頼継 小学館 1999年

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