鑑賞コラム@
芸術作品と関わる

岡山大学教育学部 赤木里香子

●見る・語る、だけじゃない
 私たちは芸術作品を、美術館に行って鑑賞するものと思い込んでしまいがちだ。しかし、芸術扱いされている作品も、つくられた当初から展示ケースの中におさまっていたわけではない。見ること、語ることにとどまらず、芸術作品との関わりかたは多様でありえたし、見方を変えれば現代の日常生活のなかにある芸術に出会えるはずだ。
 そのためのヒントとなる観点をいくつか示してみたい。

●作ってもらう・作ってあげる
 芸術家は、自己表現だけを目的に作品をつくるとは限らない。注文に応じて制作したり、誰かに喜んでもらおうとして制作したりすることもある。どんな場所に飾られて、どんな人が見るのか、きちんと決められたなかで作られた作品も少なくない。描きたいものを「自由に」表現するという制作の姿勢は、じつは歴史の浅いものである。 最近、駅や公園などに置かれているモニュメントは、条件を決めたコンテスト形式で作家を決め、作ってもらうことが多い。今日、名画といわれる肖像画の多くも注文制作である。
 制作条件が他人に決められるからといって、個性が発揮できないわけではない。制約がプラスに働くことさえある。授業でも、表現活動において何らかの条件を決めたり、作品を作ってもらう、作ってあげる機会を設定してみて、鑑賞指導につなげることもできるだろう。

●飾る
 中世・近世のヨーロッパの王侯貴族や、日本の将軍や大名たちは、居城や宮殿を新しく造営したり改築するとき、調度品も新しくしつらえた。ちょうど、現代人が新築した住まいのインテリアや玄関周りに凝ったり、自分の部屋に好きなポスターやカレンダーを飾ったりするのと同じ感覚だ。建物の内部や外観を統一的に装飾するために、絵や彫刻や工芸品が発達していった。椅子や机、カーテンや照明器具など、当たり前に部屋にあるもののなかに、今では芸術作品扱いされるものが含まれていたわけだ。
 当時の生活の様子を描いた絵画作品には、絵の中に、また絵が描かれている例がある。どんなふうに飾ってあるか、いまの生活と比べてみるのも面白い。絵画や彫刻だけでなく家具や日用品のなかには、使う人の趣味にあわせて選ばれるものがたくさんある。
 美術館の展示も、言ってみれば特別に意味をもたせた飾りであり、全体でひとつの「作品」になっていると考えてもいい。それぞれの作品は、誰かに何かの理由で選ばれて、そこに集められ、並べられているのだ。どこに何が、どんなふうに並べてあるか、ちょっと視点を変えて見てみよう。誰の、どんな意図が込められているのか?解釈して、批評してみてもいい。

●使う
  日本建築にみられる襖絵は、絵画作品でもあり、間仕切りの機能を持った建具でもある。開けたり閉めたりして部屋の大きさや雰囲気を変えるのに使われ、同時に、鑑賞の対象にもなるのだ。また、屏風に描かれた絵は平らに延ばして見るものではなく、目隠しや間仕切りのために立てて使いながら見るものだった。扇子に描かれた絵も、あおぐのに使おうと扇を開いたときでなければ見ることができない。
 いっぽうで、扇子やうちわの絵や着物の柄は、それを持つ人、着ている人と一緒にいろいろな場所に動いていくことができる。「動く美術館」というと言い過ぎかもしれないが、持って歩いて使ったり身に付けたりするものにも、豊かなイメージが盛られていることに注目しよう。身近な生活のなかでも、たくさんの例がみつかることだろう。
 19世紀半ば過ぎ、ヨーロッパで日本の浮世絵、扇子、根付などの美術工芸品がブームになり、印象派に影響を与えた。手軽に持ち運べるものだったからこそ、広く遠国にまで普及し親しまれることも可能となったのだ。据え付け・据え置き型の作品では、こうはならなかったはずだ。小さな日常品にまで芸術的なものを求める感覚は、意外と大事なのかもしれない。

●遊ぶ
 子どもたちはホンモノそっくりの絵、特に遠近法や陰影法を駆使した西洋絵画に目を奪われやすい。しかし、古臭そうに思える日本美術のなかにも「だまし絵」的表現や、見た人をびっくりさせ、面白がらせる仕掛けを盛り込んだ作品は数多くある。そうした遊び心いっぱいの作品を芸術ではないと決めつけるのは問題だ。難解そうな現代美術のなかにも、インタラクティブな遊びの要素を取り込んだ作品があり、人気を集めている。また、回遊式の日本庭園などは、動きながら見て回ることで次々と景色が変わり、いくつもの絵を見ているような楽しみ方ができる。
 年中行事や人生のいろいろなイベントは、人をわくわくさせる遊びの感覚に満ちている。そうしたイベントには、それ対応した特別な料理、飾りや音楽が選ばれることにも気づかせたい。地域の伝統文化や異文化との交流などについて学習するきっかけにもなる。歴史的に貴重な伝統芸能などで使用された着物や面や工芸品は、いまでは芸術作品として認められている。
 鑑賞の「鑑」という字には「値踏みする」という意味も含まれている。テレビで人気の「お宝鑑定」などで、意外なものに意外な値がつくのは、誰かがその作品に新しい価値を見出したからだ。芸術作品は、私たちとの関わりのなかで、芸術作品になっていくのである。

(赤木里香子)