Web AE誌 基本コンセプト


10,Jan.2000
永守基樹+宮脇理

I.世紀の過渡期の問題群
 A.大いなる過渡期の問題群
 B.芸術教育学の構築と脱構築―多様性と実践性のなかから
 C.美術と人間の社会的意味を支えつつ示す自らの存在理由
II.web誌の目指すもの
 A.芸術教育の絆の形成―人・組織・リンク、そしてパラダイム
 B.芸術教育の絆を形成すること
 C.芸術教育を社会に対してひらいていくこと
 D.芸術教育のメディアとしての力を再生させること



I.世紀の過渡期の問題群
A.大いなる過渡期の問題群
 いま、芸術の世界と教育の世界はともに、大きな変革の波を受けつつある。芸術はその社会的存在様態を大きく変えようとしているようだし、その形式と主題はとっくの昔に「芸術」という概念の殻を破り、生活と芸術、科学と芸術、政治と芸術、といった基本的で19世紀的な問いかけが再度、より深い場所からの問いとして投げかけられているのである。
 教育もまた明治以来最大と言われる変革を迎えつつある。近代教育を支えてきた啓蒙的理念の破綻、工業生産システムから情報化社会への変質…。それらは教育のシステムとエートスに根本的な変化をもたらしているようだ。そして「子どもの世紀」である20世紀が終わる時に、私たちは「子ども」を見失いつつあるかのような事態が生まれてきている。
 芸術を教育の媒体とする「芸術教育」もまた、20世紀の最後の四半世紀に、多くの困難を抱えることを余儀なくされてきたようだ。学校教育における芸術教育の削減などの危機、豊かな社会に見合わぬ芸術文化の貧困、芸術教育の理念や方法の混乱、教師達のパワー低下…、このような問題を抱えつつ私たちは21世紀を迎えるのである。

B.芸術教育学の構築と脱構築―多様性と実践性のなかから
 そのような問題を抱えつつではあるが、日本の美術教育はこの四半世紀にそのアカデミズムを形成してきた。いくつかの学会が生まれ、すべての教員養成系大学・学部に大学院修士課程が設置され、いつかの大学には博士課程が設置された。その結果、恒常的な美術教育研究者と毎年生み出される研究者予備軍がその数に見合う研究を蓄積してきたのである。
 美術教育学の形成の時期は、日本が低成長期に入った時期とほぼ一致するが、その中で美術教育の学的世界は右肩上がりの成長を続けてきたと言える。しかし、少子化と教育改革の波を背景とする「図工科」「美術科教育」の地盤沈下は、研究レヴェルにも様々なかたちで影を落としつつある。
 教科教育としての美術教育の枠組みが弱体化し、それと平行的に美術館教育などの社会教育としての美術教育がクローズアップされてくる。教育行政の制度に依存した「美術科教育」の枠組みは、おそらく美術教育学の内在的論理からも解体されていくべきであろう。
 それは一方ではライフ・スタイルやライフ・サイクルの変化、情報化の進展、国民国家や地域社会のあり方等に見られる大きな社会構造の変質、そして子どもの変質、学校の改革…等の社会的要因から検討されるべきであろう。そして他方では、美術や造形の世界そのものの変質という視点から検討するべき問題である。
C.多様な学的方法を通して、美術と人間の社会的意味を支えつつ、同時に自らの存在理由を示す必要がある
 おそらく、そのような多様な問題群に対応するように、今後とも美術教育学は多様な学的方法やアプローチを持たざるを得ないだろう。その多様性を生み出すものは、いうまでもなく教育実践であり、子どもの多様な表現活動である。教育実践は美術教育学にとっての胚胎の場であり、源泉である。
 だが、美術教育学はあくまでも実践を語り、解釈し、批評し、分析する装置であり、実践との関係性を自覚的に問い続ける必要がある。学的言説の多様性は実践からだけではなく、同時に言語装置そのもののあり方の多様性に由来する側面もあるのである。


 美術教育の実践をとりまく問題群の幅広さと、美術教育学における学的方法の多様性は、美術教育学の輪郭を曖昧なものにし、そのディシプリンの脆弱さを生むことになる。美術教育の実践の場は拡散し、それを語り、価値づけていく言語装置も混乱の中にあることを認めるならば、それもまた教育に関わる実践的研究の姿として認容するしかないのであろう。
 しかし、そのような困難の中でも、芸術と教育にまつわる問題群へのアプローチを、私たちはある種の人間形成の物語として紡ぐ責務を担っている。
 文化の総体のなかで美術〜芸術の社会的意味が問い直されていくなかで、美術教育も自己の存在理由を示す必要がある。美術教育学は教育という営為のなかで、美術と人間の社会的意味を支えつつ、同時に自らの(学としての)存在を語る必要があるということだろう。

II.web誌の目指すもの
A.芸術教育の絆の形成―人・組織・リンク、そしてパラダイム
 いままで述べてきたような美術教育の「学」の場としては、まずは「学会」が挙げられるだろう。しかし美術教育に関する学会は、(日本のたいていの学会と同様に)百家争鳴的論争を経て形成された或るパラダイムの支持集団がディシプリンを形成しつつ集団を作った、というような性格のものではない。
 今日の思想的・社会的状況において、確固としたディシプリンに基づいた教育の学など、ほぼあり得ないだろう。しかし、制度先行型の学の形成に対してはそれを内部から批判し、構築と脱構築を繰り返していく努力が求められていると言ってよい。そのためには、学の組織や形式などを中心とした諸制度に対する内部からの批評力を生みだし、外部との積極的な交流を促し、領域と方法を横断していくシステムを構想していく必要がある。私たちが発刊しようとしている『Web AE 芸術と教育』は、このような課題に応えるメディアとして構想され、そのために、以下の方法を採った。
a) 誌の形式をとる各サイトは「サイトエディター」という名の編集責任者によって構成・発刊されるが、サイトエディターは研究者個人としての資格でこの誌に参加する。
b) サイトエディターは、その編集作業を通して、様々な美術教育についての研究、実践などを見せていくのだが、そのことは、同時に美術教育研究を核とする様々な人間のリンクをそこに現出させることでもある。
c) それは具体的には参加者が属している組織の固い枠組みを超える自由な人間のつながりを、誌上に形成することであろう。その方法は、記事の編集や投稿という一般的なレヴェルでも可能だし、HPの上に「リンクをはる」ことによって、本誌とは別位相のHP連合を形成することでも可能である。
d) 個人と個人のつながりを基盤にしたwebは、様々な社会的枠組みを自在に横断していく可能性を持つだろう。

 誌としての最低限のアイデンティティーは示すものの、各サイトは各サイトエディター個別の編集方針によって構成されるが、一定の期間を通して見れば、そこには多様な美術教育へのアプローチと世界が生まれることだろう。
 多様性が多元的に共存する本誌の世界は、アナーキーな自由さとともに、各々のサイトとサイトエディターの見せる世界が競合する世界でもある。webのインタラクティヴなコミュニケーションを通して活発な論議が喚起され、生み出される相互批判と相互啓発の多元性こそが本誌の目論見であると言っても良い。
 その百家争鳴的論争をプロデュースするために、本誌の基本的運営が軌道に乗った時点で、「論争」企画を構想している。ある意味で「闘争」こそが未来の美術教育を生み出すのであろうが、その「闘争」は本誌の上では「論争」という形式をとることとなる。しかし創造的な論争は、それなりの舞台装置を必要とすることだろう。

B.芸術教育の絆を形成すること
 これらは美術教育学にとって、ある意味での「復習」にも思えるが、比喩としては「やり残していた宿題」のようなものでもある。とは言え、このような論争や批評的ディスクールの彼方に、今後の美術教育学にクーンのいうような意味での「パラダイム」や、元来の意味での「ディシプリン」が形成されることは難しいだろう。
 しかし、「芸術と教育」という二つの言葉の結びつきは、この困難な時代にあって常に魅力的な響きを私たちに与えて続けているし、その結びつきは、豊かなものを生み出す可能性を持っている。その価値産出の力を信頼することが、おそらく私たちの最低限の共有地平だと言えるだろう。
 おそらく、今後の美術教育学のパラダイムは、この地平に生起する様々な「問題群」の呈示によって示されていくことになるように思われる。それらの「問題群」は、多様な思考の交差のなかに浮かび上がってくるであろうし、「問題群」への思考の交差点に多元的にパラダイム(のようなもの)が見えてくるのかも知れない。
 「学」に関わっては、どうしても「パラダイム」という概念にたどり着いてしまうが、「パラダイム」という概念の検討は重要な視点を与えてくれる。それは「美術教育学」という学があったとして、それを支える固有のユニークな「きずな」とは何か?…、という問いかけである。
 当然ながら、そのような「絆」が無ければ「学会」なぞというものの成立は不能で、あったとしても解体されるべきものである。学術会議の枠組みにも、文部省科研の枠組みにも、「美術教育学」なるものは無い。いくつかの学的領域・分野の結合体であり、実践的な学である「美術教育学」は、常にその存在理由を自らとその構成員個々人に問いかけることになる。それに答えを与えようとするならば、必然的にこの「絆」が問われるのである。
 サイトエディターの仕事は、各々の世界における「絆」を現出させることでもある。しかし「HPの連合体」としての本誌の「絆」の形成は、容易くはない。しかし、「学会」などの制度体の支えなしに「絆」は、やはり形成されるべきものだろう。そのような「絆」の形成を本誌では目指している。
 「絆」の結節点として、各々のサイトの「テーマ」は機能するであろうし、「絆」を形成する凝集力を持つテーマこそがサイトエディターによって構想されるべきであろう。そのテーマが形成する絆のかたちをイメージし、そのテーマへの思考の諸ベクトルを示すことがサイトエディターの役割なのである。
 しかし、その「絆」は閉ざされたものであってはなるまい。「開放系」「リゾーム」等の概念によって示されるような自在で柔軟なリンク世界のなかに形成されるべきであろう。
 それは学の源泉である美術教育の世界が、実践的で子どもと世界に対して開いたものであるということに由来している。「絆」の「強固さ」と「柔らかさ」とでは、私たちは躊躇無く後者を選ぶ立場にある。
 それは美術教育のアカデミズムの弱体化につながるという見方も可能だろうが、それよりも活性化につながるメリットを重視すべきであろう。美術教育学の力は、子ども(被教育者)に対する実践的で臨床的な知であること、芸術のの価値と機能を社会の現実の中に着床させることに発揮される。このヴァイタルな力を生み出すこと以上に、アカデミズムが守るべきものはない。
 そのような意味では、実践=教育現場と学=アカデミズムの関係性を再構築していくことこそが第一に求められているということになろう。然り。それは本誌の目的のひとつであろう。現場からの批判と批評に応え、それに耐えられる学的世界を形成する必要がある。web誌は、その目的にはとても適したメディアである。
 だが、「アカデミズム=学的世界」と「実践=教育現場」をつなぐ回路を開くことは、それほど簡単ではない。アカデミズムへの批判にしても、現場への批判にしても、そのほとんどが一方通行に終わり、二つの世界は共通の言語を持っていないのが現実である。
 本誌では、この課題に対しては、二つの戦略で対しようとしている。ひとつは、まずアカデミズム側の自己批判としてその問題点を呈示していくという作業。もうひとつは「美術教育における批評学」に向けての作業である。美術教育の実践を批評する術、批評的言語の形成、批評の場の形成…、このような作業がおそらく不可欠なのではないだろうか。
 もっとも、この二つの方途で、現場〜教育実践との関係性が十分に構築できると考えているわけではない。もっと直接的に小・中・高などの教育現場に身を置く方がサイトエディターとなって参加する方法もあり得る。しかし、本誌の出発のステージでは、その主体性は「学=アカデミズム」の側が担うべきであり、その主体性のなかに諸処の課題と問題を引き受けるべきだと考えているのである。

C.芸術教育を社会に対してひらいていくこと
 いずれにしても、今後の美術教育学の形成は多様な「外部」とのせめぎあいと交流のなかにしか開かれないことは大方が予想されるだろう。その「外部」は様々なかたちで想定されるが、例えば以下のような様々なボーダーを超えていくなかに、外部とのせめぎあいと交流は現れてくることだろう。
(1)発信者(執筆者・作家)/受信者(読者・観客)
(2)研究者/実践者
(3)学校教育/学校外教育
(4)教育者(教師)/被教育者(児童・生徒・学生など)
(5)美術教育学(教科教育学)/一般教育学
(6)学会/学会外〜他学会
(7)日本/外国
 上のような多様なボーダーを超えていく構想の中で、おそらく美術教育(とその学)はその輪郭をさらに曖昧になり、変質していく可能性がある。しかしその曖昧でぼんやりと変わり行く姿に私たちは可能性を見ていきたいと考える。
 おそらく、そこでは芸術と教育との関係性がラディカルに問われることになるのであり、変質しつつある芸術が、今日の社会にあって教育のメディア=媒体として如何なる力を持ち得るかについての、多様な問いかけと回答が現れてくることだろう。その時、教育の媒体として「美術」という概念では広さと柔軟性に欠け、教育という活動ときり結ぶことが困難になることも予想されよう。「芸術=Art」という概念にダイナミズムを与えつつ、アクチュアルに教育を語っていく必要があるのである。私たちが本誌を「美術と教育」とはせずに、「芸術と教育」としたのは、このようなラディカルな視野にたってのことである。
 そこでは、「芸術と教育」という結びつきに交差する、様々な要素と動きの「連合」と「連携」が目指される。web誌では、リンクを通して、その連合と連携は、重層的に進行するであろうし、その進行は加速度的な動きとなって現れることだろう。
 その連合と連携のいくつかの結節点が、新たな問題群として浮上し、そしてその問題群に対応して、次の誌のテーマ群が生まれてくる…、といった展開を想定している。そこには、今までの美術教育学の枠組みを大きく超えた広がりが生まれてくるであろうし、そこでのインタラクティヴなコミュニケーションは、サイバー空間に形成されるひとつのコミュニティーを形成する可能性もあるだろう。
 このような、webの構想は、電子ネットワークにおける組織論としては、古典的なものに属するのかも知れない。しかし私たちは、あえて1960年代の古典的とも言えるイリッチの示したコンセプトにに立ち返り、そこから出発したいと考えている。
 周知のイヴァン・イリッチは、学校における価値の生産と価値の再生産のサイクルが特定の階層を維持するために学校の性格が「偏向」してきた事実を否定し、多元文化社会の存在を前提とする学校カリキュラムの在り方をまずは提案した。日本においても『脱学校の社会』(東洋他訳:東京創元社)が1970年発刊され、リアルタイムに世界を席巻し、賛否両論を巻き起こした。これらの議論は1960年代後半の歴史的課題の中から生まれてきたことはよく知られている。 つまり60年代は近代化の行き詰まりと人間の分断、他面において民主主義の大きな側面である人権に象徴される権利の浮上と管理社会とのせめぎ会いが起点となっていると思う。
 一つの方法として管理者の見えない電話網を利用することによって、個人は制約を受けずに相手との対話をはかることが可能とする方法論を〈Web〉という組織論に結集させた。しかし相手の顔の見えない電話交流はプラス面ばかりではないことは周知の通りであるが、価値の「再生産」組織を彼岸とする方法であったことは確かであるり、新価値形成が(これによって)可能であることを唱った。
 「ネット」はインターネットに象徴される。先端の情報を知る点については現世的「博覧強記」の再来を予想させる。情報を得ることは優れているが、それが交錯する場面は電話より未熟であり、未完成でもあり、拡散のしっぱなしといえよう。そのような状況の中ではあっても、Web誌は旧来の出版を超えた位置ににあることは確かであり、「ネット」の成熟が実現するまで、両者の中間にあって人と人との交流、そこから転じて国と国との交流、また共存の倫理を生み出していきたいと考えている。 
 イリッチの〈Web〉を実験する姿勢を背景として、サイトエディターを主幹とする(一冊の本に相当する)各サイトが「相対化」されることにより、自分の好きな「場」を選択することが可能となる。〈Web〉であって〈ネット〉でないところの良さは〈関係と選択〉つまり同一の権利を保有する個々が自分の位置と他者の関係を知ることにあるだろう。国家の目的を高く打ち上げることの不可能な日本という国にあって、いかなる「芸術」という媒体が「個」と「他者」との関係を創り出すことができるのか。これが〈Web〉全体に貫通するコンセプトであると思われるが、サイトエディターはその具体的展開をそれぞれのサイトにおいて実現することが期待される。大衆民主主義は、ややもすると平等論、権利先行条件が優先となり、安易に流れ、質の低下が予想されるのだが、だからといって古いアカデミズムが郷愁となって舞い戻るものでもなく、平等の中から斬新な「アカデミズム」の登場を実現したいと願うものである。

D.芸術教育のメディアとしての力を再生させること
 近年あらためてメディア論があらゆる分野で盛んだが、芸術はいつもメディウムとして現れてきたものであり、メディア論の中核に据えられるべきものであることは言うまでもないだろう。
 マクルーハンのメディア論が席巻して以降のアート・シーンにおけるメディアの浮上は確かにエポックを形成するものではあったが、美術が自らのメディウムとしての性格を自覚し、自己批評的なディスクールとして示しはじめたのは、デュシャンあたりにまで遡って考えられる。つまり、20世紀の美術はメディウムとしての自覚から出発したとも言える。
 メッセージを形成し、伝達し、共有するメディウムとしての芸術の機能は、しかし今日の社会に於いては、芸術の諸流通システムや社会的な制度体、あるいは資本システムなどによって囲い込まれて窒息していく道から免れることは難しい。「解放と救済」という二つの機能をもって近代社会に対してきた芸術は、いつもこの囲いからの逃走を試みてきたのだが、このいたちごっこは現在のところ、囲いの側の優勢が目立つようだ。
 ところで「解放と救済」という近代芸術の機能は、そのまま教育的な目的と機能に転用が可能であった。宗教的な支えを喪失した近代人にとっては、芸術は人間の全体性と心の深層に関わる(ほとんど唯一の)方法でありメディアであった。合理的知性を主流とする啓蒙的教育のなかで、芸術教育はそれを補うものとしての機能を認められてきたのだと言えるだろう。
 だか、モダニズムの破綻とともに、明治以来、そして戦後教育を通して続いてきた、この相補的て一種調和的な関係も、崩壊しつつある。そして近代芸術も、それを支える政治的・文化的・社会的諸制度の変質に伴って、「解放と救済」という機能を喪失しつつある。そして芸術による教育も、芸術への教育も、その教育の力を失いつつあるように見える。
 しかし芸術教育は、おそらくその重要性を失うことはないだろう。教育者の原形が霊媒者=メディウムであったことと同じく、芸術もいつもコミュニケーションのメディウムとして形成されてきたものだ。近代のコミュニケーションとコミュニティが破綻しても、芸術と教育は新たなコミュニケーションとコミュニティへの動きのなかに常に再生されるものであるからである。本誌は、そのような動きのなかで光を放つ粒子群でありたいと願っている。