アメリカ・ウェスト

その4
ラスベガスからロサンジェルスへ

福本謹一

 深夜でもないのに、漆黒の闇でラスベガスに違いない灯がこちらを突き刺すように輝いていた。暗闇のせいで砂漠の街ラスベガスという形容は、形容する対象をもたなかった。「翼よあれがパリの灯だ」というリンドバーグの感覚に似た震えをボクたちは覚えていたのである。眼下に瞬いていた光の集合体は、30分ほどしてようやくせり上がって水平に位置するようになった。それまで見なかった車がいつの間にか取り囲むように走っている。そして次第に光が具体的な形と意味を持ち始めていた。マクドナルドの巨大なMを過ぎてしばらくすると、リビエラ、シーザース・パレスといったホテル&カジノ群の煌めくようなネオンサインの幻想的な光景が辺りを支配するようになった。暗闇はそこでは脇役であった。その光を表現するために漢字を追加することが許されるならば、木の集合が林になり、森になるように、光を3つ組み合わせて「光景」と書くことを要求するほどであった。
 ナイトクルーズという言葉がここではぴったりであった。Hさんとボクは無言でそのストリップ・ブールバード(通り)と名付けられた光のドームを過ぎていった。カジノの喧噪がどの建物からも漏れてくるような錯覚を覚えるほど、街は熱気を帯びていた。車のフェンダーからバックミラー、ボディーに至るまでが光の洪水を反射して映像を流す。しばらくしてホテル・カリフォルニアという通りのはずれのホテルを宿泊先に選んだ。赤いコットンウッドのロゴに白い縁取りのあるホテルカリフォルニアは、比較的安いホテルなのに1階のフロアは結構瀟洒で人が溢れていた。スロットマシンの前で黙々とコインを入れてはスロットルを引き続ける老婦人の集団の横をカクテルを載せた編みタイツのウェイトレスが過ぎる。そうした人のうごめきがスローモーションのような恍惚感を醸成していく。ボーっとしていたのか、Hさんがボクのセーターを引っ張りながらショウでも見に行きましょうと言った。
 ラスベガスは、カジノだけでなく、ショービジネスのショーケースでもある。リドとジーグフリート&ロイのマジックをかけるスターダスト・ホテルに行くことになった。リドはフランスのショウなので、ここでパリ発のダンス・ショウを見ることもなかった。Hさんがジーグフリート&ロイのチケットを受付で手配して戻ってから入り口にいた案内人に10ドル札をそっと下の方で渡しながらいいテーブルに案内させようとしたが、人気のショウのせいか、空きテーブルは後方に二つしかなく、中の様子を見ないうちにチップを渡したことを悔やんだ。前座の大道芸が結構いい乗りだった。三つの箱を空中でジャグリングしたり肩の上を伝わせながらうまくキャッチしていく。その前座にしても先入観がないせいで、ジーグフリート&ロイのマジックへの期待を膨らませる役割は充分果たしていた。ジーグフリート&ロイのマジックでは、キャノン砲に入れられたロイが観客席の中空に浮かぶ檻の中に轟音とともにワープし、壺からホワイトタイガーが一瞬にして現れたり、象が消える。彼らは、ラスベガスでは駆け出しのマジシャンであったが、ドイツで活躍していたのを認められてここに呼ばれたようだ。(1998年にガソリンスタンドの「アメリカ西海岸の旅ご招待」抽選の特賞に当選してそれこそ20年ぶりにラスベガスを訪れる機会があった。ジーグフリート&ロイのマジックは場所をミラージュの1500人収容の広大なステージに移して100名近いキャストが登場する大スペクタクルに変身していた。ブロードウェイのミュージカル演出家で、ディズニー・オン・アイス、バーナム・サーカスなどを手がけるケネス・フェルドがその壮大なマジック・エンターテイメントを仕切る。ホワイトタイガーは三代目。ジーグフリート自身は現在のショウをコズミック・バレーと呼ぶが、インディアナジョーンズばりのスリルとミュージカルのような楽しさ、それに計算され尽くしたマジックの素晴らしさは他のどのエンターテイメントをも凌ぐだろう。80ドルは安すぎると言ってもいいほどである。ラスベガスもストリップ・ブールバードやラスベガス・ブールバードの延長沿いにテーマパーク並の施設を誇るホテルが林立し、それぞれのテーマを競う。「ニューヨーク」は、摩天楼のファサードの裏にジェットコースターが走るという具合に。ベガスの中心は次第にそうした新しい豪華ホテル群に移りつつあり、ギャンブル中心のベガスからロスやフロリダに負けない西部の一大エンターテイメント・ハブに様変わりしつつある。その一方でかつて栄えたスポットは客が激減して、ホテル・カリフォルニアも閉鎖に追い込まれていた。)   
 ボクたちは、彼らのショウの虜になった。その余韻を引きずりながらロビーに戻って少しばかりスロットマシンをやってみた。25セントでやるのだが、日本のパチンコ程の魅力はない。5ドルほどすったところであきらめることにした。 Hさんは2ドルでやめたという。それに連日の運転の疲れがたまってきていたので早めに部屋に引き上げた。
 ホテルの17階の部屋から眼下に見えるラスベガスをぼんやり眺めながら、ナッシュビルが遠く感じられた。このようなカジノとエンターテイメントの街として見る限り、グランドキャニオンとロスを結ぶ観光スポットの一つにしか過ぎない。しかし、オクラホマからラスベガスへの行程は、ルート66が白人の西部開拓史の現代版として、そこにカチナドールに見られるようなネイティヴ・アメリカンの文化やサンタフェ鉄道のネーミングに見るヒスパニックの歴史が交雑する。ラスベガスが砂漠の街に登場したのは、西部開拓の歴史でもあり、ネイティヴ・アメリカンの悲惨な歴史でもある。彼らの文化への畏敬の念は高まりを見せ始めていたし、文化人類学の視点が多元文化という文脈で語られ始めていたが、「マルチ・カルチュラル教育」の授業の休憩時間の何気ない会話の中で受講者の一人が黒人やヒスパニック系のいないのを確かめながら「この前旅行に行ったんだけど、本当に気持ちよかったわ。黒人もいないし...」という発言が多文化社会の問題を浮き彫りにしていた。その語り口の何気なさに複雑な心境を覚えたのを思い起こした。その会話の中にいたボクは、どのような枠組みに入っていたのだろうか。
 アーカンソーからオクラホマ、テキサス、アリゾナという行程に先住民やヒスパニックのネーミングが施され、ある意味でその文化を観光の売りとしている。それにそれらの場所で売られる土産物はメキシコもしくは先住民のものが多いが、ラスベガスのきらびやかなネオンサインは、白人文化の優位性をそれこそ高らかに謳い上げ、異文化への気遣いによる鬱憤を晴らすかのように強烈な光を放射しているのだ。
 翌朝ホテル・カリフォルニアをチェックアウトしてからも、ボクは先程の5ドルを取り戻したいと思っていた。ポーカーやブラックジャックは自身がない。スロットマシンにもう一度挑戦することにした。Hさんは仕方なさそうに「30分だけですよ」と言い残してルーレットを見に行った。ボクは客の少な目のコーナーでスロットマシンの見張りの女の子を見つけて、「今日が最後の夜なんだ。日本からわざわざ来て手ぶらで帰るわけに行かないんだ。出る台を教えてよ。」と迫った。彼女は少し逡巡したが、しばらくして2台を指さして、「あれとあれは結構よく出てたみたいよ」と小声で教えてくれた。ボクは小さく「ありがとう」を返して、1台に向かった。3ドルもつぎ込まない内に並びの回数パタンが見えてきた。7回程の回転でこの台は結構同じパタンの並びが出やすいことがわかってきた。最初は25セントを入れていたが、パタンがわかってからつぎ込みを開始した。何回か繰り返して当たりが出ることを確かめてから一ドルを25倍にかけたのである。2回目にみごとに当たって25ドル。そして次に25セントに戻してから今度は1000倍に当たりが来た。トークンが大げさな音を立てて出続けた。250ドル相当だ。ライトが点滅し、周りの客から拍手が起こった。これで今回の旅行のガソリン代がまかなえそうであった。このトークンに感激してもうやめることにした。カウンターの彼女はウィンクするとよそのコーナーへ移ってしまった。チップを渡し忘れたのが心残りだったが、換金しながら単純にラスベガスはいいところだと思った。昨夜の思いは既に立ち消えていた。
 Hさんが戻って来てボクが手にした100ドル札を目にしてクールに「もう仕方ない人ですね。本当にスロットやったんですか」と目を丸くした。彼の運転でホテル・カリフォルニアを後にカリフォルニアをめざした。町を出て15分も経たないうちにラスベガスという都市そのものの存在が疑わしい程また荒涼とした風景の中に戻っていた。後ろを振り向くと、知らない間に標高が上がっていたのか遙か彼方の地平線を見下ろすようなっていた。真っ直ぐな道が飛行機雲の尾を引いているかのようだ。そのうちに「カリフォルニア州へようこそ」という表示が過ぎていったが、今回は、それ程感慨を覚えなかった。そこはカリフォルニアというイメージにはほど遠くまだ砂漠だったのである。15号線をしばらく進んだところでカリフォルニア検疫と書かれたゲートが見えてきた。係員が果物や農産物を積んでいないか質問してくる。2人で顔を見合わせながら「ノー」と答えた。アメリカ国内でこんな場所があるとは思いもよらなかったが、Hさんによれば、カリフォルニアは、オレンジやワイン用のグレープをはじめとする果物や農産物の流入にうるさく、州の権益を守ろうとしているとのことであった。
 グレイハウンド・バスが追い抜いていく。薄茶けた丘陵をいくつかを越えると、ようやくもやのかかった都会が見えてきた。生暖かな空気を感じてセーターを脱いだ。グレーター・ロサンジェルスの北東の端に達したようであった。そのまま南下してディズニーランドのあるオレンジ郡のサンタアナ近くを抜けてニューポートビーチの辺りに出た。太平洋が見えた。薄灰色の海を目にしたとき二人でフーッと息をついた。砂浜に車を停めてボンネットの上で二人で背伸びをした。浜辺では女の子達が声をあげて波と戯れ、犬を散歩する親子連れが遠くに視線を投げる。ラジオからはクリスマスの音楽が聞こえてくる。何というミスマッチ。音楽の合間にラジオ局がスモッグ警報を伝える。波の打ち返す音を聞いていると海の向こうのことが少しばかり気がかりになった。

つづく